故郷があるのは本当に良いことだ。遠く離れて生きていても、幼い頃に飛び回った故郷を思い出
すだけで、いつも心の平安と休息が得られる。そして韓国の人々は遠く異国の地に出て生きる時、
歌いながら涙を流す歌がある。それはここに書くまでもないが、それでも一度繰り返して言う気持
ちで書いてみる。「♪私の 住んでた 故郷は 花の咲く山奥、桃の花 杏の花 赤ちゃんの つつ
じ、~川添の 柳 踊ってる 町れ柳踊る町内、あの中で 遊んでた時が 懐かしいです。♪」
(訳注:童謡「故郷の春」の歌詞)
憂鬱な時も、うれしい時も、懐かしい時も、何か苦しい時も、この歌を歌えば胸が暖かくなって故郷
の幼かった頃が香ばしく感じられてくる。なぜなのか?それは夢が多かった幼い頃に暮らした場
所だからだ。特に在日同胞らは哀しい歴史の主人公だからなのか、祖国に対する愛着は他の
人々よりはるかに大きい。名節ごとに民団に集まって踊る彼らの姿を見ると自然に涙が出る。
「住んだ場所(サルドン コッ)」は「住んだ土(サルドン タン)」と言い、これは「住む土(サルト)」で
あるが、この言葉が変わって日本語の「サト(里)」すなわち「故郷(コヒャン)」という言葉になる。故
郷に背を向けて遠く離れた人たちはみな、それなりの理由があるが、この「イユ(理由)」は日本語
で「ワケ」という。これは慶尚道(キョンサンド)放言の「ワケ、ワカノ、ワヘ」つまり「どうしたの(ウェ
クロニ)」が変わった言葉だ。
故郷で親しく過ごした幼なじみはいつのまにか成長し、丘の上に流れる雲を眺め、飛んで行くヤマ
ドリと渓谷の水辺の思い出を探り、遠い将来を約束した「天が(ハヌルカ)」遠くから寂しい様を送る
が、ここで「天が」が日本語で「ハルカ(はるか)」になった。これは「はるかに、遠くに」という意味だ。
故郷に一人ぼっちで残った彼女は会いたい心をなだめるすべもなく、なつかしい心で「静かに(チョ
ヨンヒ)」小山に上ってあなたが去った方に向かって祈る日が多くなり….ここで「静か」という言葉は
は「ソヨ(そよ)」で「静かに動く姿」を表す。季節はこうして流れ、それでも懐かしくてがまんできない
時には一枚の手紙で心を伝える。日本では女性の手紙の一番終わりに「カシコ(かしこ)」と書く。こ
こで「カシコ」は韓国語の「行って(カシゴ)」で、今日の韓国語で言えば「良く行かれるように」となる。
古代には「アラアラ カシコ」といったが、この時「アラ」という言葉の「ア」は「大きい、高い」であり、
「ラ」は「神、あなた」で、二つの言葉を合わせれば「偉大な神、大きなあなた」という言葉になる。し
たがって「アラアラ カシコ(あらあらかしこ)」は「高いあなたで、良く行きなさい」または「偉大な神が、
あなたと共に行くように」という意味になる。これは英語のグッバイ(Good bye)や、神があなたととも
にあらんことを(God be with you)と同じ意味で使われたのだ。ところで「アラ(あら)」という言葉は今
でも日本女性がしばしば使う言葉で、軽く驚いた時に「アラ!」という。この言葉は「アア、カミサマ」
という意味で、英語の「マイ・ゴッド(my god)」と同じ使用法だ。
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=49693&yy=2009
最近はこじ付け法も複雑化してきて、理解するまでに考えてしまうことが多いのが難点。
やっぱり、OINKは反射的に笑えないと。