リーダー不在の不幸 週のはじめに考える
日本が劣化しつつあります。最近、そんな指摘をよく聞きます。リーダーが不在だからではありませんか。総選挙を前に、指導者像について考えます。
この春の各企業の入社式では経営トップから新入社員にさまざまなメッセージが伝えられました。
「この時期だからこそ飛躍の時に備えた種まきを」(ブラザー工業・小池利和社長)
「技術は決してだませない。手を抜くと、必ずほころびが出る」(三菱重工・大宮英明社長)
「一人でできることには限界がある。『自問自答』ではなく『自問他答』を」(富士通・野副州旦社長)
尺度なき競争社会の果て
「現在の非常事態がしばらく続くことを覚悟しなければ」と説くトヨタ自動車の渡辺捷昭社長はこう語ります。「トヨタのモノづくりの原点に戻り、低価格で良質な商品をタイムリーに提供する」
世界大不況という苦境に立ち向かうことにもなる若者への掛け声は、財界リーダーたちのざんげや反省の言葉のようにも見えます。
「次の時代への備えを怠ってこなかったか」「手抜きはなかったか」「人の意見、忠告に耳を傾けてきたか」「顧客中心主義を見失ってはいなかったか」
今回の大不況は、もとはといえば米国の金融危機に端を発しています。日本はむしろ被害者だと言いたい人もいるでしょう。
しかし、米国流の市場原理主義が大手を振り、拝金主義が支配する世の中になってしまいました。ルールや尺度のない競争の果てには何が待っていたのでしょうか。「貧困」と「社会の分断」です。
今では年収二百万円以下の給与所得者が一千万人を超えました。経済協力開発機構(OECD)が発表した貧困率の統計によると、日本は先進国の中で米国についで二番目の「貧困大国」になりました。貧困率というのは「年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合」のことを指します。前年の日本は五位でした。
格差が拡大し、社会組織が「勝ち組」と「負け組」に分断され、階層化により日本社会が持っていた徳性が壊されかかっています。徳性とは、勤勉、協調、努力、創意といった戦後の高度経済成長を支えた日本人の特質を指します。
わずか二十年ほど前には「一億総中流社会」といわれた平等社会だったのに、あまりの激しい変化に驚かされます。この流れを決定付けたのは、一九九〇年代のバブル崩壊とその後に続く経済、政治・行政の「改革」です。
傑出した政治家が出ない
この改革が目指したのは、経済面では「官から民へ」の掛け声とともに「小さな政府」の実現と規制緩和の実施です。民間を主体とする競争の活性化でした。政治・行政面では、官僚支配を脱し、政治主導の実現がうたわれました。
でも、規制緩和は、例えば「派遣切り」といった歪(ひず)みをもたらしました。強欲とも言える米国流の金融資本主義が破綻(はたん)し、そこから脱却を図るためばらまき型の「大きな政府」が今日の姿です。
どうして予見できなかったのでしょう。いくつか要因が考えられますが、最大のものは各界でのリーダー不在ではありませんか。とりわけ政治家に傑出した人物を欠きました。戦国時代や明治維新など時代の転換期には優れた指導者が出ましたが、現代の混迷期には相応の人物が見当たりません。
北朝鮮のミサイル発射問題の際でも何らかのパイプを通じて関係国首脳と連絡を取るという発想がなかったのでしょうか。危機の時こそ政治指導者の出番なのです。
作家塩野七生さんが「ローマ人の物語4」で指導者に求められる五つの資質をこう書いています。
「知性。説得力。肉体上の耐久力。自己抑制の能力。持続する意志。カエサルだけが、このすべてを持っていた」
たしかに、これを全部備えている人は世界中を見渡してもほとんどいないでしょう。米国のオバマ大統領の顔が浮かびますが、真価を問われるのはこれからです。
首相の麻生太郎さん、民主党代表の小沢一郎さんはどうでしょうか。漢字の読み間違い、違法献金事件など知性や説得力の面で二人とも首をかしげざるを得ないところが多分にあります。
新しい仕組みとルールを
歴史に学び、日本のあるべき姿への明確なビジョンを持ち、言葉を尽くして相手を説得し、ときに耐え、自分を抑え、国民とともにありながら自分の意志を貫く。
日本は曲がり角に差しかかっています。同じ競争社会でも、人々が互いに助け合って生きていく新しい仕組みやルールをつくる時期ではありませんか。
それを先導していくリーダーが今こそ必要です。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2009041202000053.html
違法献金は政治家としての素質を問われるが、漢字の読み間違いなんて誰でもすると思うんだが