【緯度経度】ソウル・黒田勝弘 日韓「2010年問題」とは?
最近、日韓の間で「2010年問題」という言葉がよく聞かれる。当初は主に学者、研究者などによるセミナーやメディアへの寄稿文などで登場していた。ところがその影響だろうか、双方の外交当局者たちもそれを言うようになった。先ごろ両国政府の肝いりで発足した双方の知識人による「日韓新時代共同研究プロジェクト」でもこの話が出てきそうだ。
韓国で政権が変わるたびにお互い「新時代」というのにはいささか食傷気味だが、それはともかく「2010年」とは何ぞや?
歴史的にその昔、日本が朝鮮半島を支配、統治することになった「日韓併合条約」が締結された1910(明治43)年から100年にあたるのが2010年というのだ。そこでこれを機会にあらためて過去の歴史を振り返り、日韓の真の「過去清算」を実現し「歴史和解」を目指そうではないかという話である。
「また過去の話か…」と、ある種の徒労感を感じさせられる話だ。それも100年前にさかのぼって…。
ただこの100年間といえば、日本が併合によって韓国を支配した、韓国流にいう「日帝時代」は35年間で、残り65年間は併合とは関係ない。併合が終わった1945年以降の65年間のことを含めて考えるというのなら、まあ分からないでもないが。
しかし「2010年問題」は日本側から言い出した感じがある。というのは韓国では2010年はそれほど重視されてこなかったからだ。
たとえば国定歴史教科書「高校国史」を見るとそれが分かる。「日帝は全国的な義兵の抵抗を武力で鎮圧し司法権と警察権を奪った後、ついに大韓帝国の国権まで強奪した(1910)」とわずか2行で、条約締結の事実や条約の名称あるいは「併合」「合邦」などの記述は一切ない。
当時、「併合」をめぐって韓国サイドでは当然、賛否の激論があり、現在にいたっては「日本の武力威嚇の下で強制的に締結されたものだから不法、無効」論が公式史観になっている。しかし併合条約には韓国首相が署名しており、国際的にはさして反対や異論がなかったことも事実だ。
したがって「併合」を認めたくない韓国にとっては、1910年は必ずしも記念したい年ではないのだ。それを日本側で「100周年」だといって、何かのきっかけにしたいといい出したのだ。
韓国側で「2010年問題」に関心が向くようになったきっかけの一つに、NHKによる関連企画番組の準備がある。この話が韓国に伝わり、早速マスコミに「(日韓併合の)合法性を主張する日本側の動きを憂慮」とする報道があり、政府系の「東北アジア歴史財団」が「対応策を検討」という反応になった(昨年10月29日付、東亜日報)。
日本側の基本的発想は「過去、悪いことをしてすみませんでした」という贖罪(しょくざい)史観だから、これは明らかに曲解だが、日本側の動きに韓国側が身構えていることは間違いない。
ちなみに日本側で「2010年問題」を主導している学者の一人、左派系の和田春樹・東大名誉教授などは「2010年歴史清算」の一環として「竹島の領有権放棄」を主張している。一部には「2010年天皇陛下訪韓」を主張する向きもある。
過去100年の日韓関係を振り返るのは悪くない。ただ、併合期間よりはるかに長い戦後の65年間もしっかり振り返ってほしい。
たとえば65年間でなぜ北と南にこんな大きな発展の格差ができたのか。日本人の目でいえば「日帝時代」という過去の日本を含め、日本を拒否・断絶し続けてきた北と、日本を受け入れ交流・協力を再開した南。戦後(解放後)65年の歴史にも「日本」の要素が大きく作用している。「2010年問題」論者にはこのあたりもぜひ頭に入れておいてもらいたい。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/m20090228001.html
いちいち構わないで、好きに火病させとけばいいじゃん。