ネットの中傷―表現の舞台を汚す卑劣さ
もしもあなたがインターネット上で「人殺し」などと根も葉もない中傷を受けたとしたら――。
被害はおそらくネットの場にとどまらないだろう。日々の生活のなかで疑いの目を向けられるかもしれないし、仕事にも影響しかねない。
そうしたひどい中傷に対する重い警告の意味も込めたのだろう。お笑いタレントの男性のブログに事実無根の書き込みをしていたとして、警視庁は全国に住む18人を名誉棄損の疑いで書類送検する方針を固めた。
また、タレントを「殺す」などという内容を書いたとして、1人を脅迫の疑いで書類送検した。
ブログへの書き込みをめぐる集団摘発はきわめて異例だ。それほどネットの世界には、悪質きわまりない書き込みがあふれているということだ。
根拠のないデマを流して、身近なだれかを誹謗(ひぼう)中傷する。著名人の発言が気に入らなかったとして、やり玉にあげる。おもしろ半分で始まった書き込みが、敵意をむき出しにした攻撃へとエスカレートすることもある。それをあおる人たちまでいるから厄介だ。
だが、書かれた方はたまらない。
いじめられた、と感じて追いつめられる子がいる。「血の海になります」との犯行予告を書き込まれ、講演会の中止に追い込まれた評論家もいる。
深刻なのは、そうした無責任な書き込み行為が幅広い層に広まっている点だ。今回摘発された中には女子高校生から国立大学の職員までいた。
07年に全国の警察に寄せられたネットでの中傷被害の相談は9千件近くにのぼる。お隣の韓国では、被害にあった女優が自殺する騒ぎがあった。もはや見過ごせない状況だ。
背景にあるのは、名乗らずに発信できるネット社会の特性だろう。だが、自分だけは姿の見えにくい場所に立って、一方的に悪口を浴びせたり事実に反する書き込みをしたりするのは、あまりにも卑劣ではないか。
もちろん、ネットそのものの役割は前向きにとらえたい。だれもが世界に向けて自分の意見を発信できる。この新しいメディアによって、表現や言論の舞台は大きく広がった。その場はしっかりと守らなくてはならない。
だからこそ、その発信には責任が伴う。だれかを根拠もなくののしる行為はまっとうな意見表明とは異なる。批判するならば、事実にもとづいて自分の考えを冷静に伝える。そんな慣習が、急速に拡大したネット社会にはまだ根づいていない。
今回は被害の訴えを受けて警察が乗り出したが、健全なネット社会を築くには世の中全体の努力が要る。
学校も家庭も、ネットの使い方と発信者の責任をきちんと教えるべき時代になった。
http://www.asahi.com/paper/editorial20090206.html
>批判するならば、事実にもとづいて自分の考えを冷静に伝える。
マスコミにこそ、その姿勢を求めたい