日本で野中広務氏が首相に就いていれば、アメリカで初めて黒人大統領が誕生したのと同様の重要な意味があった。
野中氏は「部落」と呼ばれる虐げられた階層の出身で、今なお社会的差別が存在する中にあって政界No.2にまで登りつめた。そして2001年には次のステップとして首相になることが期待され、所属派閥も彼を推していた。
しかし党内では部落出身の首相を受け入れる態勢が整っていた訳ではない。現在の首相、麻生太郎氏は彼の派閥の会合で自身の考えを打ち明けたことがある。その時会合に出席していた同派の亀井久興氏(学習院初等科時代から麻生氏とは同窓。現在は国民新党幹事長)によれば彼は「ああいう(部落出身の)人たちに日本の舵取りを任せて本当にいいんですか?」と語ったと言う。麻生氏は日本の支配層エリートの典型的人物で、彼は元首相の孫であり財閥企業の御曹司である。
亀井氏は不適切発言だとその時思ったが、出席していた者たちはやり過ごしたと言う。彼はこの発言が外部に漏れるとは思ってもいなかったが政界および部落関係者たちの間には瞬く間に伝わった。
政治記者がドアの外で盗み聞きしていなかったならば、麻生氏の発言は部屋の中だけのことで終わっていただろう。とは言え、タブー視されている部落問題であるが故に大々的に報じられることはなかった。部落問題は現在でも最大のタブーとされ、日常会話で話題に上ることもなければメディアもほとんど取り上げることはないのである。
この2年後、野中氏は引退するに際して党の幹部たち多くが揃っている場で麻生氏を「決して許さない」と面罵した。それに対して麻生氏は沈黙したままだったと言う。
2005年に野党議員が国会でこの件に関して麻生氏に質問を行ったが、麻生氏は「私はそのような話をしたことはありません」と否定した。
部落の人たちは同じ日本人として民族的に何ら違いがあるわけではなく、いわゆる不浄な業務を担わされていた人々の子孫だというだけである。屠殺や埋葬の仕事、死刑囚の処刑や街の警備などに従事していた彼らは「エタ(穢多=けがれが多い)」とか「非人(=人に非ず)」などと呼ばれた。
アメリカでは憲法第13修正で奴隷制度が廃止され、日本ではその数年後の1871年に「解放令」が公布されて部落は公的に解放された。しかし、部落の人たちの生活水準や教育レベルは依然として全国平均を下回ったままであった。
部落解放同盟からの圧力もあったが、1969年に日本政府は部落の状況を改善するための特別措置法を可決した。同措置法が失効する2002年までに総額約1750億ドル(約15兆円)を投入したと言う。 (以上。=超長文にて抜粋要約)
http://www.nytimes.com/2009/01/16/world/asia/16outcasts.html?_r=2&scp=2&sq=Norimitsu&st=cse
野中が部落とかどうでもいいが、野中首相を阻止した麻生はGJ