派遣切り「お助け」求人 どこも「応募は意外に少ない」
製造業を中心にした大規模な「派遣切り」対し、慢性的な人材不足に悩む介護業界、タクシー会社、サービス業などでは、「失業救済」という名のもとに新規雇用を呼びかける動きが活発だ。しかし、各社とも「思ったほど応募が来ない」のが現状だ。情報が届いていないせいもあるが、「報じられているほど深刻なのか」と疑問視する声も上がっている。
元派遣社員の応募は2~3人しかいない
全国の労働局と公共職業安定所は、非正規労働者の雇い止めの状況に関して企業への聞き取り調査を2008年12月に行った。それを元に厚生労働省が試算したところ、10月から09年3月までに約8万5000人が失業する見通しであるとがわかった。08年11月の同調査では3万人と予測していたが、1か月間で 3倍に急増した。
失業者が増える一方で、厚生労働省が発表している一般職業紹介状況(08年11月)によると、相変わらず人手不足の業種もある。有効求人倍率(求人数/求職者数)は接客・給仕が3.1倍、介護などを含む家庭支援サービスが2.38倍、自動車運転の職業が1.22倍、建設躯体(骨組み)工事の職業が4.10倍となっている。
大分キヤノン、大分キヤノンマテリアル、東芝大分工場などの製造業で数百から数千人規模の「派遣切り」が行われている大分県。失業者を受け入れようと、同県にあるタクシー会社、大分第一交通(大分市)は、330人の運転手を正社員として新たに雇用すると2008年12月29日に発表した。
多数の応募が来ており、年始から連日のように面接を行っているが、そのうち元派遣社員は2~3人しかいないそうだ。
人事担当者は、こう語る。
「もっと多く(元派遣社員の応募が)来ると思っていました。テレビで派遣社員が『明日から住むところがない』『所持金が数百円しかない』などと言っている割には、あれ?っという感じです」求人数は増えているが、紹介しても応募しない
同社はハローワークにも求人を出しているが、応募は少ない。元派遣社員の7~8割が、前職と同じ業種を希望し、なおかつ「正社員ではなく派遣社員にこだわっている」と指摘する。
「慣れた生活スタイルがいいのでしょうが、ハローワークの担当者からも、長く勤めようとしているのか、という疑問が出ているそうです。大分では派遣切りにあった人を救おうと、余裕のある企業が求人募集をかけている。求人数はむしろ増えているが、紹介しても応募しないと聞いています」
タクシー運転手の給与は「水揚げ」(売上げ)により異なる。同社の場合、入社3か月間は月額18万円を保証している。一方、自動車製造業の派遣社員の給与は一般に月額 30万円以上とも言われる。運転手になれば給与は下がるが、大分第一交通ではマンションを借り上げており、1人暮らしなら1ルーム、家族がいるなら2ルームというように、住む場所を提供している。
「家族がいて何としても食いつながなければならないという人は、新しい職でもいい、とすぐに決めていく。それに比べて、テレビで報じられているような人は本当に多いのかな、と疑問に思ってしまいます」
グループ全体で運転手1万人を新規雇用すると発表したのは、大手タクシー会社「エムケイ」(京都市)だ。08年12月12日から20日までの間に、問い合わせは160件あり、募集前の1.4倍に増えた。説明会には2倍多い150人が参加した。ところが経営企画部の担当者は、
「説明会の参加者のうち、製造業などで派遣切りにあったという人はそんなにいませんでした」
と話し、ここも元派遣社員の応募は少ないようだ。
介護業者「応募があったのは、今のところ1件です」
全国143カ所で有料老人ホームを運営している介護事業会社「メデカジャパン」(さいたま市)。日産、マツダ、ソニー、日本IBMなど人員削減を表明した大企業30社(09年1月9日現在)に、元派遣社員や期間工らの受け入れを伝える案内状を送った。同社は慢性的な人員不足に悩んでおり、毎月200人程度を募集している。
人事担当者は、
「通知した企業から応募があったのは、今のところ1件です。それ以外での応募も特に増えていません」
と明かし、派遣先から受け入れの情報が伝わっていないのではないか、とみている。
応募が少ないのには、給与の水準も影響していそうだ。同社の月額給与は、栃木県が18万円、九州が14万円から(残業代、手当を除く)。介護の仕事は「きつい」というイメージが定着しており、給与を下げてまでやりたくない、という人が多いらしい。
農業や畜産業も、高齢化で人手が足りていない。1600の農家や養豚会社が所属する日本養豚生産者協議会(東京都渋谷区)は、全国の養豚経営各社で約100 人を雇用する、と08年12月25日に発表。仕事内容は養豚場での作業で、具体的には豚の繁殖・肥育育成に携わる。初任給は20万円前後。同協議会事務局長は、
「今のところ全部で24、5人しか来ていないですね。中には派遣切りに遭い、応募してきた人もいますが、思っていたより少ないです」
と困惑している。
農業の場合、JAが一斉に求人募集をすることが多い。「JAおおいた」の人事担当者は、
「大分キヤノンなどの製造業で働いていて解雇されたという元派遣社員の応募は、1件もありません」
と明かす。
人手不足に悩んでいる業界では、「失業者が増えているのに、必要なところに人材が回ってこない」という不満の声も上がっている。
製造業の元派遣社員や期間工がたくさん来ているというハローワーク大分。職業相談部の職員は、
「ほとんどの人が再び、製造業で働きたいと望んでいます。その一方で、介護や接客業では以前から人手が足りていませんが、我々は『職業選択の自由』を大前提として紹介しているので、希望しない人には勧められません。うまくいきませんね」
と話しており、雇用のミスマッチをどう解決するかが今後の課題になりそうだ。
どうみても、生活保護が必要な状況に見えないわけですが
記者の目:派遣村で「住所不定」の過酷さ思う=東海林智
おどおどと定まらない視線がこれからの我が身の不安を物語っていた。午前0時を回り、神奈川県から約20キロの道のりを歩いてたどり着いたという30代の男性は、凍えた手で野菜スープを受け取った。一口すすり「あーっ」と言葉にならない声を漏らした。聞けば、温かい物を3日も食べていないという。ストーブにあたると、こけたほおにようやく赤みが差してきた。
年末からの6日間を東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」で過ごした。彼のようにろくに栄養も取れず、衰弱して村に来た労働者は大勢いた。久々の食事に胃けいれんを起こして救急車で搬送された人もいた。改めて、仕事と住居を突然奪われることの過酷さを思った。
派遣村が企画されたのは解雇や賃金不払いなどの相談に乗っている棗(なつめ)一郎弁護士の「目の前の1人を助けなくてよいのか」という一言がきっかけだった。その問いかけに私も賛同し、実行委員会に参加した。
労働問題に取り組む弁護士グループと労働組合は先月4日、労働者派遣法の抜本改正を求める集会を日比谷野外音楽堂で開いた。「約3万人の非正規雇用労働者が仕事を失う」との厚生労働省調査が発表された(後の調査では約8万5000人)こともあり、派遣法改正案の問題点を指摘する集会は盛り上がった。
ただ、集会だけでは仕事と住居を失った人を救えない。非正規雇用者から日々相談を受けている労組には、役所の閉まる年末年始に命の危機にさらされる人が出てくる事態の深刻さがすぐにのみ込めた。ナショナルセンター(全国組織)が違う労組が過去のしがらみを超え、わずか2週間で派遣村の準備をし、献身的に裏方として村を支えた。
村に集まった500人を通して改めて浮き彫りになったのは、住居を失うことが、再び仕事を得る上でいかに重い足かせになるかということだ。「仕事はいくらでもある」「えり好みをしている」。彼らに対するそんな批判が今回もあった。しかし、彼らは首を切られてから無為に過ごしたわけではない。わずかな所持金でネットカフェなどに寝泊まりしながら、次の仕事を探そうと必死にもがいてきた。しかし、住所のない人を雇う経営者はどれだけいるだろうか。人手不足と言われる職種に応募しても「住所不定じゃね」と雇ってもらえない。面接可能な会社を見つけても、そこへ行く交通費がない。履歴書にはる顔写真を撮影する金もない。にっちもさっちもいかなかったのだ。
また、今回、村には昨年末に職を失った人だけでなく、数年にわたり野宿をしている人も大勢、炊き出しを食べにきた。カンパに訪れた人に「野宿者に飯を食わすために寄付したのではない」と詰め寄られたことがあった。だが、村では当初から、野宿している人も区別せず食事を出し、対応すると決めていた。それは、現状で野宿をする人も、かつて何らかの事情で仕事と住居を失っているからだ。実際、野宿が長い人に話を聞くと、以前派遣や日雇いの仕事をしていて、仕事を切られたことをきっかけに住居を失った人がたくさんいた。彼らは、昨秋以降の世界同時不況より早い段階で切られただけで、同じように不安定な雇用の中で働いていた。
派遣村は、そうした雇用の問題を目に見える形で世間に問いかけた。その問いかけへの反応が、1700人に上るボランティアであり、米、野菜など送られたさまざまな支援物資であり、4000万円近いカンパだ。困難な状況に置かれた人への同情もあろう。しかしそれ以上に、こうした働かされ方への怒り、何とかしなければとの思いがあったのではないか。初日から連日ボランティアで参加した都内の私立高校生は「こんなことを続けていたら僕らに未来はない。ここをきっかけに変えたいと思った」と理由を述べた。
厚労省は日々増え続けた村民に対応するため、実行委員会の要求を受けて担当部局が正月休みを返上し、講堂を開放した。一義的には都が対応すべき部分もあり大変だったとは思うが、幹部は派遣法が招いた雇用の現実を知る良い機会になったのではないかと思う。現場のハローワークや労働基準監督署で働く職員で作る全労働省労働組合は、履歴書用の顔写真の撮影ができる機材まで用意して、連日ボランティアで就労相談にあたっていたのだから。
派遣村は、幻の村ではなく全国にある問題だ。人が働くとはどういうことか。派遣法はこのままで良いのか。多くの市民が支えた命を、行政、政治が真剣に引き継いでもらいたい。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090114k0000m070142000c.html
だったら毎日新聞が雇ってやるなり、住所として本社を提供するなりしたらどうだろう。