著作権保護期間は「金の問題」? 中山信弘氏や松本零士氏が議論
著作権保護期間の延長は「金の問題」か――東京大学名誉教授で弁護士の中山信弘さんや、漫画家の松本零士さんが10月30日、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」(ThinkC)のシンポジウムで意見を戦わせた。
著作権保護期間については、現行法のまま著作者の死後50年とするか、70年に延長するかについて、文化審議会著作権分科会傘下の小委員会で検討していたが、小委員会は結論を先送りした。小委員会の委員でもある中山さんは「保護期間の延長はどうやら、しないことになるのでは」と見通しを示す。
ThinkCは、この問題が浮上した2006年に発足。「安易な延長は避け、議論を尽くすべきだ」と主張し、公開イベントなどで議論を重ねてきた。保護期間延長が実質的に見送りとなったことを受けて同日、保護期間や著作物に関する提言を公表。これまでの活動の集大成として、シンポジウムを開いた。
パネリストは中山さん、松本さんのほか、小委員会立ち上げ時に文化庁著作権課長だった甲野正道・国立西洋美術館副館長、慶応義塾大学DMC統合研究機構RAでクリエイティブ・コモンズ・ジャパン事務局の生貝直人さん、弁護士の福井健策さん。モデレーターはIT・音楽ジャーナリストの津田大介さんが務めた。
●「金の問題ではない」と松本さん
「著作権保護期間を世界の流れに合わせて延ばすべき」と、松本さんは繰り返す。「世界の大勢が70年ならそろえていただきたい。各国と足並みをそろえ、地球上で対等に活動しやすいようにしてほしい」というのが一番の理由だ。
「金の問題ではない」とも繰り返す。「創作家は孤独。冷酷非常な世界で、いつ路傍(ろぼう)に倒れても悔いがない覚悟だ。私も大もうけしていると思われているかもしれないが、激しい赤字のこともある。それはそれで運命。創作者は、自分の作品を多くの人に共有してもらい、ともに生きていきたいという、ただそれだけの思いで創っている」
ではなぜ延長が必要なのか。“世界標準”に合わせるという点に加え、「遺産を路傍に捨てられたくない」という思いがあるという。
「家を持っている人がいたとして、50年経ったらその家を誰でも自由に使っていいのか。作品は生涯をかけて残した遺産。自分がくたばったあと50年で保護期間が切れたら、思いもかけない利用がなされるかもしれない」
その一方で、保護期間が切れても実害はないだろうとも話す。「人の心を信じているので、現実的には実害はないと考えている。保護期間が短くても長くても、作品が誰にも見向きもされず、利用されない可能性もある。それぐらい厳しい世界だが、そこに飛び込んだ以上生涯をかけてそれを働くしか仕方ない」
松本さんは「金の問題ではない」と強調しつつ、遺族の生活保障についても口にした。
「『孫や子のため』に保護期間延長を、と言うと怒られてしまう。われわれは金のためだけに働いているわけではないが、人間として生きて仕事をしていて、家族のことを思わない人がどこにいる」
「漫画家は見下げられてきたし、退職金も年金もない世界で、何の保証もない覚悟で入ったが、子孫のこと、我が子のことはどうしても考えてしまう。自分は遺産とは縁がない“亡国の民”だったが、親から精神的な遺産は受け取っている」
元著作権課長の甲野さんは松本さん寄りの意見で、「作家の気持ちを考えなくてはいけない」と話す。「著作権の保護期間はこの国の作家にどのような地位与えているかに直結する。『短いと法的地位は低い』と創作者が思うのが当然のことではないか」
●「金の問題。リスペクトは関係ない」と中山さん
中山さんは「保護期間延長問題は金の問題だ」とばっさり斬る。「保護期間延長派からは『金ではなくリスペクトの問題』という主張が強かったが、それは著作権法の構造をまったく理解していない。保護期間延長問題にリスペクトが絡んできたのが不幸の始まりだ」
「著作物のリスペクトは、(延長問題が絡む著作財産権ではなく)著作人格権の問題だが、人格権はそもそも著作者をリスペクトしろとは言っていない。リスペクトを規制する法律はありえない。しかも人格権には期限がない」
「保護期間延長問題はもっぱら金の問題で、独占的利潤を挙げられる期間を延ばすかどうかだけの話。延ばした方が多くの創作がなされるか、それとも著作物の利用・流通が阻害されるかという。そこにリスペクトを持ってくるとこんがらがって収集がつかなくなる」
「シェークスピアも紫式部も森鴎外もリスペクトを集めている。作品発表と同時に軽蔑されるクリエイターもいる。それは作品と受け手の問題で、法律が関与すべきでない」――中山さんは繰り返す。
保護期間延長問題について、延長派と慎重派の議論がかみ合わなかった背景には、著作権法に対する無理解があったと中山さんは指摘する。
「著作権法への期待が大きすぎたのではないか。著作権法はそんな大したもんじゃない。創作へのインセンティブの1つで『これさえあれば万々歳』というものではない」
●“世界標準”に統一すべきか?
「世界標準に合わせるべき」という主張についてはどうだろうか。「世界で保護期間が異なるから困る、という話は審議会でもよく聞いたが」――中山さんは反論する。
「著作権法に限らず、法律は各国で違うのが当たり前。結婚の年齢だって国によって違う。国籍が異なる2人がさらに別の国で結婚したらどうなるのか」
「各国で違う法律をどうやってうまくやっていくかが国際司法や条約であり、ノウハウも積み上がっている。保護期間が違って困ることは理論的にはない。気分だけの問題だろう」
国際的なライセンスビジネスの著作権処理を手がける弁護士の福井さんも「保護期間が異なるからといって実務で困ることはない」と話す。「保護期間が不統一だからビジネスがつぶれたということはない。常識的にありえない」
法律は国益を考えて定めるものであり、欧米に合わせる必要はないというのが福井さんの主張だ。「死後50年というベルヌ条約の統一ルールはすでにある。欧米が死後70年に変えたのは、彼らの国益にかなうから。米国は文化の輸出国で、欧州はEU統合のために最長のドイツに合わせた」
「先方は国益を考えて日本にも『保護期間を延ばしてくれ』と言うが、日本は年間5000億円以上の著作権赤字をかかえており、延長は損。言われるがままに延ばすことが国際協調とは言えないだろう。日本が延長すれば(日本同様に文化の輸入国である)発展途上国にとってはうれしくないだろう。そういう国を無視していいのか」
●松本さん「最新の機材は世にも恐ろしい」
松本さんは食い下がる。「創作の世界はいつ反転するか、いつどこの国が輸出・輸入に回るか分からない。現状がどうだからと今決めておくと後悔することになる。先進国も後進国も、ものの数ではない。共同の土俵の上に立って創作活動ができるようにしていただきたい」
「漫画家は見下げられてきた職業だ。自殺した漫画家や、挫折して生涯を病院で暮らしている人もいる中、未来を信じては仕事をしており、国別の優劣はない。いかなる国の若者もあなどらない」
インターネットを通じてグローバルにコンテンツが流通することに対し「恐ろしい」とも話す。「最新の機材は世にも恐ろしいシステム。黙っていれば世界中で見られる。プリントアウトもいとも簡単に、きわめて精度よく複製できる。世界中どこで誰が見てるか分からず、プリントアウトしたものを書籍として売る人が出るかもしれない」
「日本語だけで配信した場合、1日3万6000ヒットだったのが英語で36万、ほかの言語にも対応すると120万でパンクしたこともあった。国際間で協定を結び、管理システムを相互で確立してもらわないと収集が付かない。権利問題を解決し、ルールを作ってネットの流通機構を完成させてもらわないと」
●賛成派・反対派 なぜ歩み寄れないか
延長賛成派と反対派の議論がかみあわなかったのはそれぞれが「原理主義的な考え方を貫いたから」だと甲野さんは主張する。「相手の意見に耳を傾けるという姿勢がもう少しあれば」――甲野さんは特に延長反対派に対して、クリエイターの意見をもっと聞くよう求めた。
「保護期間延長はそれ自体が目的化しているとも言われていたが、延長反対もそれ自体が目的化していたのでは。延長するデメリットはたくさんあるかもしれないが、政策でデメリットを減ずることもできたと思う。具体的な政策を考え、議論をまとめるにはどうすればいいか考えるべきだったのでは」
慶応大の池貝さんは、賛成派・反対派の立場の違いを指摘する。「延長を強く主張している創作者は自主独立の精神で地位を確立し、家族を守ってきた。延長しなくていいと考える人は、過去の創作物の表現をまねし、創作物が新しい創作の階段の1段目なればいいという考え方だ」
対立の背景には、著作物を取り巻く環境の激変がある。中山さんは言う。「巨匠や文豪にとっての著作権法と、一億総クリエイター時代の著作権法は意味合いが異なる。審議会で意見を述べる人は巨匠や文豪。今の時代を反映していないのではないか」
「立派な才能を持つごく少数の人がクリエイターだった時代から、誰もが作品をアップして見てもらえる時代に変わった。そういう時代に対応した著作権法や保護期間は何かを考えなくてはならない」
ネット時代は、著作物の保護だけではなく利用の円滑化も考える必要があると福井さんは指摘する。
「著作権実務でクリエイターから相談は受けるのは『創作活動をする上でこれは権利侵害にならないか』『権利処理できないがこんな作品を作ってもいいか』という利用に関する問題だ。保護期間が長ければクリエイターのためになるというわけではなく、長くて強ければ保護水準が高いとはならない」
著作物をもっと利用しやすくすべき、という点については松本さんも賛同する。「保護期間は70年にした上で、利用される方々の共存共栄という問題も考えるべきだ」
●どうなるフェアユース
著作物の保護と利用のバランスを取るための方策として「日本版フェアユース」の導入が、政府の知的財産戦略本部の専門調査会で検討されてきた。だが権利者から慎重な議論を求める声もあり、「どうも腰砕けで、次の通常国会は難しいだろう」と、専門調査会の委員も務めている中山さんは見通しを示す。
「フェアユースには大きく期待していたのにがっかりだ。仮に次がだめでもその次の国会に向けてめげずに頑張りたい」――中山さんはフェアユース導入に積極的な立場で、その理由をこう説明する。
「あらゆる法律の根底にはフェアという概念があり、形の上では権利侵害だが、侵害とするのはおかしいというケースがある。そういう場合、裁判官が無理な法解釈などで努力して合法にしてきた。その部分をフェアユース規定で救おうというものだ」
フェアユースは今だからこそ必要だと中山さんは説く。「ベンチャー企業の人と話して実感しているのだが、ネット関連の新しいビジネスは必ずといっていいほど著作権問題にぶつかる。検索エンジンが最たる例で、Googleなどは米国にサーバを置いている」
「だが、著作権者がGoogleにコンテンツをのっけてもらって何が困るのか。権利者のマーケットは侵していない。日本にサーバが置けないから米国にサーバを置いているが、どちらにしろ権利者にとっては同じ。そして、日本は産業を失う」
中山さんによると、検索エンジンのキャッシュの合法化については今国会で「特別なルール」ができそうだという。ただ、著作権問題に直面しているのは検索エンジンだけではない。
「現在、いろんなサービスが違法となっている。権利者のマーケットを侵さないようなものも形式的に侵害とされ、違法とされる。このままでは日本のコンテンツビジネスのダメージになるのでは。コンテンツが流通しないと、権利者に還元すべき原資がなくなり、還元できなくなる」と中山さんは心配し「今導入すべきだろう」と力を込める。
●フェアユースの課題は
甲野さんは「フェアユース規定の導入は難しいだろう」と話す。「権利を侵害するかしないかは刑事罰がかかるかかからないかの問題でもあり、厳密に条文を書こうとすると大変な手間。『公正な』という概念で刑事罰の問題を解決できるのか。実現のためにはいろいろな壁がある」
フェアユースはネットビジネスのために必要、という考え方にも疑問を呈した。「公的な利用が想定されるが、ビジネスのために活用するなら手放しで『権利なし』としていいのか疑問。許諾権はなくしても、せめて報酬請求権がないといけないのかなと思う。要件についてはよく議論が必要で、時間がかかるだろう」
フェアユースを有効に機能させるには、判例を積み上げていく必要があり、米国のように訴訟が多い国でないと機能しないという意見もある。
生貝さんはこの問題を解決するために、裁判外紛争解決手続(ADR)機関を作ることを提案。「ADRなら裁判よりも抵抗がないのでは。フェアユースは導入したほうがいいというコンセンサスができつつある。フェア概念を誰がどう判断し、議論の蓄積を作るかを考える段階だろう」
●著作権法は「著作者を守る?」「ビジネスを守る?」
「他人の著作物でビジネスをするなら、手間を省きたいから権利がないほうがいいに決まってる」――甲野さんは、ビジネスのために著作物の利用を円滑化すべき、という考え方にも批判的だ。
「新しいビジネスを守って発展させることは重要だが、その要請が大きくなりすぎているのではないか。ネットでビジネスする人たちは『著作権が悪いから俺たちはビジネスできない』という前に、もう少し努力された上で制度に要望してほしい」
中山さんは反論する。「40年ぐらい前、著作権法に関係する人は、作家や作詞作曲者、放送局、出版社などごく一部だった当時はその通りだった。だが今は一億総クリエイター時代だ。著作権法は今、かなりの部分がビジネスロー化しているが、法律の作りはそうなっていない。そこに一番大きな問題がある」
「ネットビジネスに一番大事なのはスピードだ。従来は、新しいビジネスをしたい場合はまず、法律に例外規定を作ってもらっていた。だが今のネットビジネスは、リスクを取っていいからスピードを取りたいというものだ」
「インターネットに国境はなく、日本でできないが米国でできるというビジネスはたくさんある。そういったビジネスが日本から米国に流出してしまう。クリエイターは保護されなくてはならないが、むしろ著作物の利用流通を促進し、利益を還元すべきシステムを作ることで、クリエイターに回す資金の原資を作るべきだ」
●法律だけでは解決しない「文化」の問題
中山さんは「著作権法だけで解決できない問題が山積している」とも指摘する。
「『横山大観の著作権が切れると横山大観記念館の運営が困るから延ばして』と言われたことがある。『今延ばしても20年後にまた困るでしょ』と言ったら『その時はまた延長をお願いする』と言われた。横山大観記念館は文化政策の問題なのに、著作権法に期待しているのはおかしい」
さらに「著作権保護期間を延長しても、99.9%のクリエイターがうれしくないだろう。クリエイターが今置かれている立場を改善することが重要」とも話す。
では、クリエイターに対する公的支援は必要なのだろうか。クリエイターは支援を受けたくて創造するわけではなく、公的機関がクリエイターの才能を見いだすことができるとも限らないが――
福井さんは「文化は市場だけには任せられず、支援は必要だと述べる。「市場はゴッホや宮沢賢治を生前に見いだすことができなかった。必要な限度で公的支援するのは、マーケットを拡大し、すそ野を広げることにもつながる。例えば、創作のための資料獲得を支援したり、実務能力を身につけるための研修を行ったり、劇場など発表の場の“ハコ代”を安くするなど、インフラ整備も重要だろう」
文化庁の予算は年間1000億円程度という。「東大の予算の約半分。たったそれだけで高松塚古墳、お寺、著作権行政まですべてまかなっている。審議会で私は予算についていつも『ゼロが1つ足りないのでは』と話すのだが」と中山さんは話す。
文化に予算を投じれば、経済発展にもつながると中山さんは言う。「フランスは文化振興で産業を振興し、田舎の町も発展させた。フランスで文化振興にお金を使わないとシャンソンが滅んで全部ロックになるかもしれない。日本だって守らないと、文楽や歌舞伎はなくなるだろう。それでいいのか」
地方の文化振興を取材してきた津田さんによると、文化振興に億単位の予算が付いても、土地や建物など“ハコモノ”に使われる割合が高くなりがちだという。「この国ではどうしてもゼネコン中心になりがち。クリエイターにまで届く政策は不可能に近いのでは」
現役クリエイターである松本さんは、公的支援の必要性をどう思っているだろうか。「能力がある人が無惨な立場にあることもあり、漫画協会などに会費を払えずクビになる人もいる。そういう人たちを支援できればいい」
「絶壁だからこそ頑張るし、甘えてはいけないのは事実だが、にっちもさっちも行かない時に支援を打ち出せる国なら、もっと多くの創作者が助かる。最低限の創作に立ち向かえる支援体制があればどんなにいいか。そういう人が将来、大傑作をものにする可能性がある」
死んだ後の話じゃなくてね。今現在のクリエーターの地位向上は必要だと思うよ。
ただ、それと著作権保護期間延長と因果関係があるとは思えないなあ。
というか、記事にもかかれているけれど、ここで議論されている著作権保護期間とは財産権に関する事で、著作者人格権は永久不滅、不可侵。松本氏が書いた漫画は永遠に松本作。あたりまえだけど。イメージダウンさせるような改変も不可。
つまり、名誉とか言う面に関しては永久に保護されているわけで、この件圧倒的に「金」だけの問題なんだなー。
だから、延長派の意見は尊重されない。