崇礼門火災と日本の国宝第1号
京都の広隆寺に行くと、日本の国宝第1号である弥勒菩薩半跏思惟像がある。我が国の国宝第83号の金銅弥勒半跏思惟像と、その大きさや形態がとても似ており、模倣作ではと思わせる。
1980年代初め、ある学生がこの仏像に近付いて不用意に触ったせいで、指が一本折れる事件が発生した。その指を詳細に調査した結果、この仏像の材質が赤松であることが判明した。当時日本には自生していなかった木だ。
日本歴史学会は大騒ぎになった。日本の国宝第1号が日本人の作品ではないかもしれないという衝撃は実に大きかったと推察される。追跡調査の結果、使われた赤松は慶尚北道青松郡周王山一帯に自生するものだと分かった。そうなると日本の学者たちは口をつぐむしかなかった。
しかし次第に歳月が経つと、完成品を新羅から持ちこんだという推定が可能な日本書紀の聖徳太子に関する記録を否定して、日本人が独創的に作ったという説を裏付ける根拠を捜し始めた。あらゆる科学的な方法をすべて動員して、日本人の手で作ったという根拠を提示するのに一生を捧げた学者たちが多数にのぼる。彼らの論旨は、材質自体は朝鮮半島のものであっても作ったのは日本人だ、という主張だ。日本人がどれほど自尊心を傷つけられたかは、人々の執拗な努力からも感じられる。
ところで、皮肉にも広隆寺と法隆寺の踏査のために京都に滞在している中に、韓国から悲報が飛びこんできた。放火によって南大門が燃えたというのだ。我が国の国宝第1号が燃えたというニュースは、日本人たちにも重要なニュースだった。日本のマスコミは連日トップニュースで報道した。同行した日本人や、旅行中に会った日本人は、私に慰めと激励の言葉を惜しまなかった。しかし私は率直に言って、弥勒菩薩半跏思惟像を見る間もずっと平静で、むしろ彼らの慰めと激励がトゲのように胸を突いてくる気がした。日本人は、彼らの先祖が作ったのでないかもしれない文化財を自分たちのものとして大事に保存して、その価値を賛嘆する人々が数えきれないほど多いのに対し、私たちは火が自然に起こったのでもなくて自らの手で火をつけたというこの矛盾をどう説明すべきかと考えると、呆然となるばかりだった。
日本人の、自分たちの先祖が残した文化遺産に対する矜持と自負心は大変なもので、外部の
侵入が無かった島国という特殊性のおかげで、多くの文化財がそのまま保存されている。だが、現代を生きる日本人たちからは、自分たちの古代文化遺産の多くに見られる韓国文化の影響力を最小限に縮小したり隠蔽することに全情熱を尽くしている、という印象をよく受ける。彼らの文化財に対するたびに、そういう印象はますます強くなる。広隆寺の正面にある石版の刻字も、朝鮮半島から弥勒菩薩半跏思惟像が伝来したという根拠になりうる句節は、字を読み取れないように消してしまった。石版自体を交換するのは困難だった模様だ。
こうした事例は、いちいち列挙できないほど多い。自分たちが作った創意的な遺産だという自負心が、逆に韓国文化の影響を消したり歪曲しようとする努力へと変質しているのだ。
しかし冷静に考えて見れば、韓国文化が中国文化の「従属」や「亜流」だという中国人たちの主張に私たちが怒りを感じるように、日本人も自分たちの古代文化が朝鮮半島の影響下にあるという主張を否定したい心情は、立場を入れ替えて見れば理解もできる。ただ、そうだとしても、日本の古代文化に朝鮮半島の影響がおびただしかったという事実自体さえも否定しようとするのは、日本人たちの度外れた小児病的反応だと思われる。
http://www.knnews.co.kr/news.asp?cmd=content&idx=686354
と、こんな事を書かないと自負心が保てないわけですね。