【正論懇話会】上坂冬子氏講演要旨
年が明ければ平成20年。昭和天皇崩御から20年を数える。
20年前はロサンゼルスで戦争の取材をしていたが、昭和天皇のご容体が悪いとのニュースを見た翌日、日本へ戻った。昭和を一緒に生きた天皇陛下がこの世を去る瞬間は、日本で見ておきたかった。帰国すると枕元にテレビを置き、寝るときも電源を入れておいた。1月7日の朝、がさがさっとする感じがして飛び起きたら、崩御という字が大きく出ていた。
なぜそこまでしたのかは、答えようがない。ただ、昭和天皇を中心に日本がひとかたまりになり、良かれとまっすぐ前を向いて生きてきた日々が胸の中にある。
頭のいい人たちが、あの日本の侵略が悪かった、責任を取らねばならないというようなことを声高にいう。しかしあの時代を生きた人までが、日本が大変な罪を犯したのがあの時代だと言うのは、違うのではないか。みんな一生懸命だったじゃないか、みんなで協力したじゃないか、と思う。
今になって「過去の日本は間違っていた」「軍部についていくしかなかった」と一刀両断にあの時代を悪といわれると困る。今考えて、日本のどこが今一番問題なのか。すぱっと一刀両断にすべき問題がされず、結論を簡単に下してはいけないものに結論が下されている。このところがどうも納得いかない。
分析しきれないのを分析して、「戦後日本は変わった。だから憲法9条を大事にしよう」と割り切っていいのか。それだけで国が守れるかを考えれば、割り切るのではなく深く議論されるべきなのに、なされていない。
12月1日、北方領土のご当地、根室の市長さんが地元の方々を200~300人連れて東京へデモに来る。どうして12月1日か。日本で最初にあの4島のソ連の占領に異議をとなえたのが、当時の根室町長。戦争に負けた4カ月後、12月1日にGHQ(連合国軍総司令部)に来て訴えた。
年が明ければ平成20年。昭和天皇崩御から20年を数える。
20年前はロサンゼルスで戦争の取材をしていたが、昭和天皇のご容体が悪いとのニュースを見た翌日、日本へ戻った。昭和を一緒に生きた天皇陛下がこの世を去る瞬間は、日本で見ておきたかった。帰国すると枕元にテレビを置き、寝るときも電源を入れておいた。1月7日の朝、がさがさっとする感じがして飛び起きたら、崩御という字が大きく出ていた。
なぜそこまでしたのかは、答えようがない。ただ、昭和天皇を中心に日本がひとかたまりになり、良かれとまっすぐ前を向いて生きてきた日々が胸の中にある。
頭のいい人たちが、あの日本の侵略が悪かった、責任を取らねばならないというようなことを声高にいう。しかしあの時代を生きた人までが、日本が大変な罪を犯したのがあの時代だと言うのは、違うのではないか。みんな一生懸命だったじゃないか、みんなで協力したじゃないか、と思う。
今になって「過去の日本は間違っていた」「軍部についていくしかなかった」と一刀両断にあの時代を悪といわれると困る。今考えて、日本のどこが今一番問題なのか。すぱっと一刀両断にすべき問題がされず、結論を簡単に下してはいけないものに結論が下されている。このところがどうも納得いかない。
分析しきれないのを分析して、「戦後日本は変わった。だから憲法9条を大事にしよう」と割り切っていいのか。それだけで国が守れるかを考えれば、割り切るのではなく深く議論されるべきなのに、なされていない。
12月1日、北方領土のご当地、根室の市長さんが地元の方々を200~300人連れて東京へデモに来る。どうして12月1日か。日本で最初にあの4島のソ連の占領に異議をとなえたのが、当時の根室町長。戦争に負けた4カ月後、12月1日にGHQ(連合国軍総司令部)に来て訴えた。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/071121/trd0711212331023-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/life/trend/071121/trd0711212331023-n2.htm
世間では、明治維新までの日本は正義で、その後いきなり悪にされているのが謎。
何かおかしいと気が付かないかな。