■「強制徴用者4000人が犠牲になった島に、どうして加害者日本の慰霊碑だけなのか…」
「お父さん、末娘が来ました。返事してください、お父さん…。」
65年前に生後百日だった末娘は、いつのまにか額に皺が深く刻まれた白髪のお婆さんになった。李ウォンスンさん(67)の父親は、日帝時代に強制徴用されて、1944年にマーシャル諸島のクェゼリン島で死亡した。李さんは号泣して父親の名前を呼んだが、コバルト色の海は物言わず波立つばかりだった。
日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が主催した「マーシャル諸島海外追悼巡礼」が、遺族17人が参加して8月17日から22日までマーシャル諸島のマジュロ島で行われた。
1945年に食糧補給が途絶えた際に日本軍が朝鮮人を殺戮した「人肉事件」が発生したミリ環礁までは船で12時間。飛行機で14時間かけてマジュロ島まで来たが、一行はミリ環礁へ向かって船上慰霊祭を執り行なうことで慰霊をしなければならなかった。
「アボジ(お父さん)、アボジ、アボジ」
海に向かって泣き叫んだ声は波音に掻き消され、海に投じられた菊の花とともに波間に沈んだ。遺族代表として追悼巡礼に参加した鄭ジニョンさん(66)さんは、「父は『人肉事件』後に日本軍に抵抗して銃殺された聞いた。せめて父が亡くなった地の土に触れてみたかったが…」と涙を流した。
尹ジンミンさん(66)は、「今まで来たくても来るすべが無かったが、ようやく願いがかなった。靖国神社に合祀されている父の魂も早く連れ帰りたい」と自らを慰めた。
マジュロ島の慰霊碑は、遺族たちを二度泣かせた。1996年に政府の予算で建立された韓国人犠牲者慰霊碑は、毀損されたまま管理者もないまま打ち捨てられていた。当時一緒に造成された慰霊公園である「アリラン公園」は閉鎖され、慰霊碑は現地僑民である池ヨンユさん(67)の自宅階段の下に移されて放置されている。
幅60cm、高さ170cmの慰霊碑は、表に「マーシャルアイルランド韓国人犠牲者慰霊碑」と記され、裏には韓国人犠牲者に関する説明が詳細に書かれている。
池さんは、「公園が消えたので、ここに移した。これまで国会議員や大使らが尋ねてきても、誰も関心を持たなかった」と語った。
遺族らは、日本政府が1980年代にマジュロ島に造成した「平和の公園」を訪問して憤りを噴き出した。鄭ジニョンさんは、「ここまで来て日本の慰霊碑にだけ報告せねばならないのか。韓国政府が放置しているという事実を、遺族として到底理解できない」と声を高めた。
同行した日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会側は、「外交部などと協議して慰霊碑再建を検討する」と述べた。
【用語解説: マーシャル諸島と韓国人強制徴用】
南太平洋に浮かぶマーシャル諸島は、太平洋戦争末期まで激戦地だった。1944年2~3月には約19000人の戦没者が発生した。強制動員された朝鮮人も約4000人いたとされる。しかし日本がミリ環礁に関する記録をほとんど残しておらず、現在まで事件の真相や正確な被害規模は分かっていない。
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20070824001009
>日本軍が朝鮮人を殺戮した「人肉事件」が発生した
>現在まで事件の真相や正確な被害規模は分かっていない
…。またか