タリバンはムハンマドの教えを思い出すべき
1994年春、アフガニスタン南部のカンダハル近郊にあるシンゲサル村の住民たちが宗教指導者オマルを訪ね、10代の少女2人を拉致し、数回にわたって性的暴行を加えた現地の軍司令官らについて告発した。それを聞いたオマルは30人ほどの若者を募った。わずか小銃16丁の武器を手に、オマルとその部下たちは司令官の軍事基地を襲撃し、少女たちを救い出した。そして司令官らを戦車の砲身に吊るし、絞首刑にした。
この話に登場する人物こそ、後にアフガニスタンを実効支配することになるイスラム武装勢力タリバンの指導者、ムハンマド・オマルであり、彼の下で少女救出に加わった若者たちの組織こそがタリバンだ。それから13年の歳月が過ぎた。あのとき少女たちを救出したタリバンやオマルの姿勢は大きく変わってしまったように見える。「女性を保護し、尊重する」と主張するタリバンが、女性18人を含む23人を拉致するとは、何とも矛盾した話だ。
アフガニスタンから国境を越えてパキスタンに入ると、あちこちにマドラサ(イスラム教徒の学校)が目につく。これらの学校では10代や20代の若者たちをタリバンに養成するための教育が施されており、アフガニスタンの聖職者や、パキスタンのイスラム原理主義者によって運営されている。生徒たちはコーランや預言者ムハンマドの言行を記録したハディース、イスラム法のシャーリア、ジハード(聖戦)などについて学ぶ。
ジハードとは本来、「努力」を意味する単語だ。コーランとハディースによれば、イスラム教徒にとって最も重要なジーハードは自分自身との闘いだ。自分の悪行を直すために努力し、精神的、道徳的に成熟する機会となるさまざまな困難を克服し、努めることが重要だとされている。タリバンの人々は、自分たちの聖典であるコーランの第5章第32節を再度よく読むべきだ。そこには「人を殺したとか、あるいは地上で何か悪事をなしたとかいう理由もないのに他人を殺害する者は、全人類を一度に殺したのと同等と見なされ、反対に誰か他人の生命を1つでも救った者はあたかも全人類を一度に救ったのと同等に見なされる(日本語訳は岩波書店『コーラン』井筒俊彦訳による)」とある。
恥ずかしがり屋で純朴な指導者と評されるオマルは、預言者ムハンマドの言葉の意味をもう一度振り返ってみるべきだ。ムハンマドは「決して女性や老人を殺してはならない」、「生きているすべての動物や人間に親切を施せば、必ず報われる」としている。「イスラム」という言葉も、もとは平和を意味する単語「サラーム」に由来している。イスラム教徒たちは、世界の平和を実現し、維持するための教えがイスラム教だと言う。タリバンには、人質たちに「サラーム」を与えてあげてほしい。何の罪もない人の命を奪い続ければ、イスラム教徒たちを含む世界の人々は、ますますタリバンを憎悪するようになるだろう。
タリバンは人質解放交渉に最終期限を設定し、人質の家族をはじめとする多くの人々に精神的な苦痛を与えている。また何度もその期限を延長することで、結果的に世界中の人々を欺いている。そして何の罪もない人々の命を弄び、奪っておきながら、自分たちの行為を正当化するこじつけを並べている。預言者ムハンマドは、嘘をついてよいとは言っていない。さらに目的を達成するためにはどんな手段を講じても良いといった教えもない。
神がこの世界を創造した際に何の使い道のないものばかりを集めて投げ捨てたところがアフガニスタンになったという話があるほど、アフガニスタンは荒涼とした大地が広がっている。その荒涼とした大地に足を運び、平和な社会を実現するための一助になろうとした若者たちに、タリバンが「サラーム」を与えてくれることを、心から願う。
http://www.chosunonline.com/article/20070802000061
http://www.chosunonline.com/article/20070802000062
この時期に良くこんな神経を逆なでする事が書けるな。