慰安婦決議―首相談話でけじめを
米下院本会議が、旧日本軍の慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議を採択した。決議は「残虐性と規模は前例がない。20世紀最悪の人身売買事件の一つ」とまで述べている。
日本政府は93年の河野洋平官房長官談話で、旧日本軍の関与を認め、謝罪した。それを受けて官民合同のアジア女性基金を設立し、元慰安婦に償い金と一緒に、首相名のおわびの手紙も渡している。米側がこうした取り組みを十分に評価していないのは、残念なことだ。
しかし、過去の日本をこれほど糾弾する決議が採択されたのは、日本の側にも原因がある。そのことを厳しく見つめなければならない。
河野談話は、様々な証言や証拠を吟味した結果、軍の関与を認めたうえで、慰安婦の募集や移送、管理などで全体として強制性があったと述べた。日本政府としての公式見解である。
ところがその後、一部の政治家やメディア、学者らから、河野談話を否定したり攻撃したりする発言が相次いだ。そうした勢力の中心メンバーの1人が、首相になる前の安倍氏だった。
米国内には、日本が戦前の価値観を引きずっているのではないか、という不安がある。小泉前首相の靖国参拝に対し、有力議員が日本の駐米大使に懸念を伝える書簡を送ったのは、その表れだ。安倍首相の登場は米国の警戒心を高めた。
首相になった安倍氏は「河野談話の継承」を表明した。ところが、当局が人さらいのように連行する「狭義の強制性」はなかった、などと言うものだから、決議の動きに弾みをつけてしまった。木を見て森を見ない抗弁だった。
さらに決定的だったのは、国会議員や首相の外交ブレーンらが反論広告をワシントン・ポスト紙に掲載したことだ。
今回の決議を採択した本会議で、民主党のラントス下院外交委員長は、こうした反論広告などについて、「歴史をゆがめ否定する日本の一部の試みには吐き気をもよおす」と述べた。
「価値観外交」を掲げる安倍首相は「日米は価値観を共有する同盟だ」というのが持論だ。自由や民主主義といった理念で共通していると強調する。
だが、こうした価値観を共有するためには、自由や人権を抑圧していた戦前の軍国主義を総括し、きっぱりと別れを告げる必要がある。
慰安婦問題で旧日本軍をことさらに弁護することは、自由や人権の抑圧を肯定するかのように受け取られてしまう。それはいま日米が共有するはずの価値観に反するということを、安倍首相らは知るべきだ。
決議は首相に謝罪を求めている。首相の沈黙は逆効果になるだけだ。河野談話の継承を疑われているのならば、同じような内容を安倍首相の談話として内外に表明してはどうか。それがいま取りうる最善の道だろう。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1
事前に用意してあったのかなあといった感じの社説。
必死の盛り上げにもかかわらず、自民党は選挙敗北の後始末、肝心の韓国は人質殺害でそれどころでは無いのでした。