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瓦が一枚あったから、琉球王国を作ったのは高麗の軍隊だ
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高麗の職人製造の瓦を使った遺跡が沖縄で発掘・・・琉球王国の基盤を作ったのは高麗の軍隊だった
「高麗三別抄が作った瓦一枚が日本の沖繩、琉球王国建国の秘密を明かにした。その建国の基盤を用意し決定的に寄与した人々はまさしく三別抄の軍隊だった。」
12世紀までは新石器時代の生活文化水準にとどまり、15世紀に初めて国家を立て16世紀まで繁栄を享受した後、19世紀末日本に服属させられた琉球王国。その琉球王国は高麗武臣政権の軍隊だった三別抄が基礎を用意したという新しい指摘が出た。
国立済州博物館は最近、沖縄県教育委とともに”耽羅と琉球王国”特別展を準備する過程でこのように確認した。これは国内と日本学界で初めて申し立てられたことなのでこれから高麗と琉球王国の交流史研究に大いに役に立つと見られる。
このような研究成果は今度の特別展に出品される、沖繩出土瓦を国内の高麗瓦と比較検討する過程から出たのだ。
沖繩では最近”癸酉年高麗瓦匠造”という文が刻まれた牝瓦と多くの店が発掘された。文言の内容は「聖酉年に高麗瓦職人が作った」と言う意味。高麗時代にあたる聖酉年は1153、1213、1273、1333年などだ。
しかし日本の考古学者たちは高麗の瓦職人たちがどうやって沖繩の琉球列島まで越えてやって来てこの瓦を作ったのか、どの聖酉年なのかの結論は下すことができなかった。
ところが今度の展示準備の中で、文言の中の聖酉年が1273年なのを確認した。その文は沖繩で出土した13・14世紀蓮華模様の樺膜鳥瓦と、全南珍島勇将山城で出土した13世紀樺膜鳥瓦.に。
珍島勇将山城はモンゴルが高麗を侵略した時、三別抄軍が大蒙抗争の根拠にしていた場所だ。勇将山城から出た瓦は三別抄軍の瓦職人たちが作ったもので、沖繩瓦と製作技法や形態が同一系統であることが確認された。
三別抄の大型建築工事の参加は、13世紀琉球列島の情況を見るに大きな意味を持つ。琉球列島は 12世紀まで国家を成すことができずに新石器時代にとどまった。貝を食べて貝殻で生活道具と装身具を作る水準だったから、この時までの琉球は貝塚時代と呼ぶ。
13世紀には初めて農耕が本格化され、人口が急増しつつ集団勢力が芽吹き始めた。これに対して丁館長は「三別抄の大型建築工事参加は、立派に完成した建築物を通じ琉球の人たちに勢力の集団化と共同体の意味を伝え、琉球人が王国を建設するのに三別抄が決定的に寄与した」と解釈した。
このような見解は今度の展示に一緒に参加した日本の考古学界も認めている。アサト教授は21日午後4時済州博物館でこのような内容を記した”琉球王国の歴史と文化”と言う主題で講演する計画だ。
一方, 今度の展示には各種瓦を含め三彩甕、磁器燭台, 磁器風炉(以上日本国宝)、琉球国王の帽子、琉球使臣行列絵、漆器、死体の骨を選って入れる蔵骨器など琉球の歴史と文化そして中国韓国との交流があった事を見せてくれる遺物240余点が展示される。
http://www.donga.com/fbin/output?n=200707180054&top20=1
飛躍しすぎ
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