「戦争責任」に関する記憶喪失現象
また大騒ぎになってしまいましたね。今回は防衛大臣だった久間章生さんでした。聖域である日本人の「(太平洋戦争)戦争観」に対して、個人論を披露してしまったのです。彼は立場上、いわゆる政治的自殺をしました。
自民党は今、年金記録の紛失などの問題を抱え、大混乱に見えます。しかも参院選挙をすぐそこに控えて、ぴりぴりしている時期です。だからこそ、被爆地である長崎出身の大臣として、タブーとなっている話題に触れることは政治的に許されるはずはなかったのです。
日本人の定着した戦争観の観点から、久間さんは1つではなく2つのルール違反の発言をしたのではないかと思います。1つは、マスコミが厳しく叩いた「(原爆投下は)しょうがない」という発言です。もう2つは、マスコミがあまり騒がなかった「あれ(原爆)で戦争が終わったんだ」と言ったことです。
後者の発言「あれ(原爆)で戦争が終わったんだ」は、戦勝国の観点を普通に表します。一部の日本人も似ている意見を述べています。その一人は、昭和史研究の大家である保阪正康氏です。『あの戦争は何だったのか』という本の中に次のように書かれています。『こういう言葉も誤解を招くかもしれないがあえて使わせてもらうと「原爆のおかげで終戦は早まった」のだ。』(同書222ページ参照)。
誤解を避けるために述べておきます。私はこれまでに少なくとも3回以上、広島平和記念資料館を訪ねたことがあります。訪れるたびに、改めて原爆の恐ろしさを思い知らせられ、悲しく苦しい気持ちでいっぱいになります。日本人と同様に、戦争の結末として、あまりにも残酷だったと思っています。原爆投下は、二度とあってはいけないことだと確信しています。
にもかかわらず、日本人の定着した戦争観に対して、いつも2つのことを疑問に感じます。一つは被害者意識です。逆に言うと加害者認識の欠如です。もう1つは、日本の戦争責任配分に関する、一種の集団記憶喪失現象です。要するに、あの戦争は誰の責任だったのかという責任配分プロセスが、ほとんど進められてきていないようです。
まず被害者意識です。日本で被爆の議論が起こるたびに、それが理屈の空白の中で行われているような気がします。ほとんどの議論は結果論に絞られ、因果関係の「因」が抜けています。「日本は被害者で世界唯一の被爆国だ」というのがあの戦争の議論の大前提で、出発点となっています。これはあべこべのロジックだと思います。実態をうやむやにさせる考え方です。日本にとってあの戦争を振り返って教訓にしようとするときに、日本が加害者だったことが出発点ではないでしょうか。
あまりにも厳しい言葉かもしれませんが、加害者であった当時の日本の指導者が、非現実的で無理だった戦争を仕掛けなければ、原爆投下もなかったのです。ひいては、20万人以上の被爆犠牲者も出さなかったのです。(戦争責任と繋がっていますが)当時の日本の指導者が日本は負けたという事実をもっともっと早く認めさえしていたら、原爆投下はなかっただろうし、両側の多くの命が救われたことでしょう。
原爆投下自体が、正当だったのかそれとも不当だったのかは、別の非常に複雑な問題だと思います。「目的が手段を正当化するかどうか」というギリシャの古典的なモラル・ジレンマが絡むからです。どんなに望ましい目的であっても(例えば苦しい戦争を早く終わらせること)、それを達成するためにいかなる手段(例えば原爆)を使っても道徳的に善いのでしょうか。永久に議論してもまとまった結論は出ません。ひとりひとりが自分なりに深く考えるしかないのです。
2つ目に疑問に思うのは、戦争責任についての記憶喪失現象です。20年以上前に東京ディズニーランドに行ったときのことを思い出します。日本の歴史を説明するドキュメンタリービデオを見せる場所がありました。天照大神から始まり、平安時代や江戸時代などを紹介するビデオを興味深く見ていました。すると、第二次世界大戦の時代には全く触れずに急に日本の急成長時代に飛んだわけです。日本はあたかも第二次世界大戦に無縁であの戦争がなかったようでした。
日本の戦争責任配分について、記憶喪失症状を一切示さない一人の立派な日本人がいると私は思っています。ご本人は戦争責任の「検証」という言葉を使われますが、読売新聞グループ会長の渡邉恒雄氏です。読者の中でも、2005年から2006年8月にかけて連載された読売新聞の『検証:戦争責任』を覚えている方がいらっしゃるかもしれません。
彼は極東裁判で決着がついたとは思っていません。まったく同感です。渡邉さんは、あの当時あのような馬鹿な決断をしていなければ、あれほど犠牲者を出さないで済んだということを次々検証することによって、誰があのくだらない結論を出し、何千万人という人間を殺したのかを検証しようと提案しました。日本と同じ敗戦国であるドイツでは、そのプロセスは戦後まもなく本格的に始まって、今までずっと議論され続けています。
もし、戦争が終わってすぐに、日本が戦争責任の誠実な追及を始めていたら、被害国や慰安婦などに対する政治家の中途半端な謝罪パフォーマンスはもういらないはずです。村山談話など中途半端な謝罪がされるたびに、日本の国際的イメージは、深刻なダメージを受けます。
歴史上、戦争の真の犠牲者はいつも両側の普通兵や一般国民です。帝国主義国となってしまっている今のアメリカは、イラクで明確な過ちを犯し、多数の犠牲者を出しています。戦争の歴史から少しも学んでいません。人間の愚行はある特定の国の独占権ではないようです。次は、ブッシュ大統領や彼の側近の戦争責任検証の番です。
ブルース・ホルコム
(Bruce Holcombe)

初来日は大学卒業直後の1973年。再来日した1978年、言語学研究で東京外語大と国立国語研究所に籍を置く。1980年豪州政府に派遣され、オーストラリア人同時通訳の第1号となる。1985年に日本で会社設立(旧レクシス現在ホルコムアソシエイツ)。数カ国語を駆使し、多分野において、通訳だけでなくコンサルティング、講演、執筆など幅広い活躍をみせる。ワイン、競馬、音楽、野菜作りなど玄人顔負けの趣味でも知られる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070711/129636/?P=2
この理屈だとアメリカに原爆投下すれば、イラク戦争が終わって両側の多くの命が救われるという事に。
ばかじゃね?