[検定撤回意見書]
住民こそ歴史の証言者
文部科学省の検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に旧日本軍が関与したとする記述が削除されたことに対し、検定意見の撤回を求める議会が増えている。
二十九日までに那覇市、浦添市、渡嘉敷村、座間味村など十を超える市町村が「『集団自決』が日本軍による命令、強制、誘導なしに起こり得なかったことは紛れもない事実」(座間味村議会)などとする意見書を採択した。
六月に開かれる定例会や臨時議会でも、意見書を提案し採択する方向で議論が進められているという。
当然であり、今回の検定は、県民の記憶の中に厳然として残る歴史の事実を強く思い起こさせたと言わざるを得ない。
それは、たとえ記憶から消し去りたい「負の遺産」であっても、その後に生きる私たちが乗り越えるべき歴史といってよく、そこにこそ「歴史を学ぶ」意義があるからだ。
各自治体が編さんした市史、町史、村史には、戦時下における住民の実体験が生々しく記されている。証言の一つ一つは当時の苦しさや恐怖、悲しさ、悔しさを表していると言っても過言ではない。
議会が文科省の検定に異議を唱えるのは、県民が体験した歴史の事実を隠ぺいしゆがめようとする動きが見られるからであり、それをまた風化させようとする意図を覚えたからでもある。
沖縄戦における“忌まわしい事件”は、方言しか話せない人がスパイに疑われたり、避難壕から大勢の住民が追い出されたことと軌を一にする。
少なくとも、住民らの「集団自決」は、決して上陸した米軍に追い詰められた結果として起こったのではない。
そこには、戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」という教えとともに、軍と官、民が一体となった「共生共死」の考えがあったとみていい。
検定で文科省は「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」とコメントしている。だが、渡嘉敷島などで非戦闘員である一般住民に手りゅう弾を渡したのは紛れもなく兵士であったという事実を無視してはなるまい。
「現在係争中の裁判を理由に、元隊長である原告の主張のみを一方的に取り上げることは、文科省が自ら課している検定基準を逸脱しているばかりでなく、これまでの体験者による証言や『県史』を否定しようとするものだ」
県民の思いは、この恩納村議会の意見書と深く重なる。歴史的事実は直視すべきであり、教科書をつくる場合にはなおのこと、その重要性をしっかり踏まえて編さんするべきだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070530.html#no_1
>一般住民に手りゅう弾を渡したのは紛れもなく兵士であった
手榴弾を兵士以外が持っていたら問題じゃね?
あなたのおっしゃるアジアって