インターネットの援助を得て、神道(日本の古代宗教)熱が日本人の中で緩やかに上昇している。「より沢山の方々が見えられるようになりました」と、東京中央にある明治神宮の神主は話す。
「これまでより多くの結婚式も行われています。天恵を得たり、祈りによって災いを取り除いたり、事業に成功したいといった様々な願いの為に赤ちゃんを連れて来られる方も増え、七五三のお祭りにも多くの方々が参加するようになりました。」七五三とは7歳と3、5歳になった子供を祝う祭りである。
陽気の良い土曜日、頭からつま先まですっぽりと白い絹に覆われた15組の結婚式の花嫁が中庭の群集の中を通り結婚式のホールへと導かれる。同じ中庭では近隣地域と日本の南にある鹿児島からやって来たダンサーたちが踊っていた。
雨が降っていた週の中ごろの日にも、お祈りにきたり見物に来たり、またはその両方の訪問客たちの一定の数の流れがある。老いも若きも、”サラリーマン”と呼ばれるオフィスワーカーやおしゃべりをする学生、家族連れ、それに外国人の散策ツアーの集団なども混ざっていた。
「神の道」を意味する神道への関心が増してその為に巧みな説明も示されているが、どの日本人も第二次世界大戦終結の1945年、大きな乱流の後に書き換えられた同一性意識や、伝統に対する国家のプライドや感謝の復活を反映するのではないか、という事に対しては筋の通った話をすることは出来なかった。
神主は「多くの日本人はそういったことは意識していません。」と言い「神道とは日本人の一部なんです。」と付け加えた。
明治神宮(www.meijijingu.or.jp)のインターネットウェブサイトは、他の神社と違いが顕著でこの”霊的な家”を訪問する人々の好みに合わせて、一年間の中でのイベントや結婚式でどこをアレンジできるか、特殊な災いの為の祈祷の要求などの方法を記載している。
閲覧者は「美しい日本の心とはなんですか?」と熟考するよう問い掛けられた。
全国いたるところに存在する参拝客教会のメンバーは23万人。彼らは伝統を促進し、家族関係を改善し、若年層を導き、休日に国旗を掲揚するよう人々に促す取り組みをまとめている。
その教訓には他人への善き行いの為に自らを注ぎ、世界平和を祈り、皇室を尊敬することを含んでいる。
別にも明治神宮のアピールの理由は、恐らくそれほど貴重ではなく有罪宣告を受けた戦犯を含む日本国の戦死者が合祀されている靖国神社のような政治議論からは自由という点があげられるのだろうか。
日本の左翼や、おびただしい韓国人や中国人は靖国を訪問した日本の政治家を批判した。
だが対照的に日本の内閣総理大臣 安倍晋三は「これは立派な神社です。家が近いので私はしばしば、ここを訪れるんです。」と言って一月に明治神宮を訪問している。
また外国のリーダー達も眉を吊り上げることなく、神社を参拝する。
2002年にアメリカ大統領のジョージ・ブッシュも東京に滞在したときに神社に案内されている。
明治神宮で、日本人は当時の日本国を近代世界へと導いた一人である明治天皇(1868~1912年まで在位)と昭憲皇后を崇敬している。それはキリスト教の大聖堂と同じくらい同種の数多くの神宮より際立っている、もしくは帝国の神殿だと言えるだろう。
要するに日本国には8万に及ぶ神宮から、簡素な神社が片田舎の近くにまで存在しているのだ。
日本国そのもののように、神道は神話の霧の中から発生している。2つの古代のテキストがそれらの神話を記録しているが、神道にはどのような”聖書”も存在しない。ユダヤ教やキリスト教の聖書や、イスラム教のコーランもないのだ。
神道の神々はアマツオオミカミと呼ばれており、太陽神に率いられ総勢八百万にも及ぶという。湖や川、山や田んぼにも彼らは存在し、日本人を眺めているという。しかし、キリストの神やヤハウェ、アラーのいずれの力にも帰するものではないのだ。
しかも、一つの宗派に属す欧米人とは違い日本人は双方の信仰や主義に従う際に闘争を全く見せず、中国から仏教を取り入れた後も神道と仏教は共存している。
神道は1930年代と1940年代に日本を動かした軍国主義者によって選び出され、超国家主義の為にその力を変えている。しかし第二次世界大戦後、進駐軍が憲法上で政教分離を命じ神道も個人的な領域へと戻っていった。
とはいえ、幾つかの方策を経てイギリス女王が英国国教教会の代表として残ったように、天皇も神道の主要司祭として残ったのである。
その伝統は昨年、悠仁王子(三番目の王位継承権をもつ)が生後まもなく皇宮の理由で祝福されるために連れていかれた3つの神社のうちの1つで、日本人によって拍手喝采で迎えられたことにより広く受け入れられているように思えた。
By Richard Halloran
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2007/05/19/2003361587
>第二次世界大戦終結の1945年、大きな乱流の後に書き換えられた同一性意識や、伝統に対する国家のプライドや感謝の復活を反映するのではないか、
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