あしたはきっと 「中国残留孤児」
祖国よ 人権返して
伏見区の市営住宅にある奥山イク子さん(74)の自宅。京田辺市の林隆さん(67)は、自らの半生を振り返り、目頭を熱くして中国語で言った。
「憲法ができて60年たちました。でも、元々日本人の私たちにその光が当たったことはありません」
1939年に中国東北部の東安省(当時)で生まれた。両親は山形県から中国へ渡った開拓団だった。
45年8月の夜明け前、旧ソ連の飛行機が突然飛来し、爆弾を落とした。衝撃で意識を失った林さんは、気がつくと見知らぬ日本人女性に保護されていた。家族は見あたらず、中国人の家庭に引き取られた。
養父母は林さんを大切に育て、学校も通わせてくれた。だが、政治活動が盛んになる中で、養母は批判され、3年間「刑務所に入れられた」。60年代後半の文化大革命で林さんは「スパイ」と糾弾され、養父も呼び出された。
「苦しかったけど私を離さずに育ててくれた。申し訳なくも思う。養父母は私が最も敬愛する人です」
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帰国の夢がかなったのは81年9月。実父母を知る人の仲介で、林さんの身元が確認できた。離散から36年。山形県に引き揚げていた実父母との再会は言葉にならず、涙がこぼれた。
だが、約半年後、中国に戻らなければならなかった。実父母は高齢で働けず、林さんの帰国を望まなかった。政府は親族の同意がない場合の帰国を認めなかった。民間の支援団体を身元引受人に永住帰国できたのは86年。46歳だった。
1年間の日本語研修を受けたが、話せるようにはならなかった。工場で働いたが、話ができず孤立した。時給は600円。その後も清掃の仕事などに就いたが、仕事はきつく、体を壊した。
12歳で小学4年に編入した長男は「中国人」といじめられた。頭を殴られて血を流したこともある。
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林さんは60歳で仕事を辞め、現在は年金と生活保護で暮らす。中国の養父母の墓参りをしたいが、これまでは海外に出るとその分の保護費が差し引かれたため、実現していない。
養父母がいた中国と実の親がいる日本。二つの古里。でも中国では「日本の鬼の子」と呼ばれ、祖国では外国人扱い。「私の人権を返してもらいたい。人間の尊厳を回復してほしい」
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(憲法25条(1))。林さんは同じ中国残留日本人孤児の奥山さんら仲間と、国に損害賠償を求める裁判を京都地裁に起こしている。
「差別を受け続けてきた残留孤児に残された時間はあまりありません。残りの人生を幸せに暮らしたい。せめてもの願いなのです」。奥山さんは、こう言い添えた。
http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000130705070003
今のその生活を支えている生活保護が日本の保証する人権ですが?
>「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
最低限度の生活を営む権利には外国旅行は入ってないんだな。
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