「失敗した雄弁家」盧武鉉
【特集】盧武鉉政権4年を振り返る(4)
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、韓国の歴代大統領の中で、最も過激な「コミュニケーション実験」をした大統領として歴史に名を残すことだろう。脱修辞的といっていいほど格式ばっていない彼の言葉は、華やかなファッションショーのような政治の舞台にあって、ボディーペインティングを施した前衛芸術家を見ているかのような錯覚を感じさせてくれた。韓国国民はこの4年間、「ならず者」「腐っている」「屑(くず)拾い野郎」「引きこもっていろ」「星(軍隊の肩章)をつけて偉ぶっている」などといった低俗な言葉が最高権力者の口からためらいもなく発せられるのを目の当たりにするという、韓国始まって以来の経験をしてきた。
権力的な色彩が強かったこれまでの大統領の発言とは対照的な盧大統領の発言は、インターネットの掲示板への書き込みのように率直かつ即興的であり、しかも側近のチェックも経ず、大統領が思うままに発せられたという特徴を持つものだ。その話し方は、大統領候補であった時には長所だったかもしれないが、大統領就任後は「国を任せるのが不安で心もとない指導者の発言」として人々の話題に上った。就任当初から「盧武鉉らしい」という流行語を生んだ彼の発言は、任期終盤に入った今、政府の政策や提案の重要性を損なわせる逆効果を生んでいる。
盧大統領が選んだ単語の組み合わせは、大統領という職責の重さとは不釣合いなもので、人々の常識から常にかけ離れたものだった。彼は権力の中枢にありながら、自らを被害者と見なすという、「非主流的」な表現法を選び、ポピュリスト(大衆迎合主義者)を志向しながらも、階層を分けた「党派的」な単語を好んで使った。単純かつ攻撃的で、説得すべき対象を敵対視する話し方は、運動家特有の話し方だ。就任1年目の2003年秋、自らの再信任をかけて国民投票を提案した際に見せたように、「証拠の提示という負担」を相手方に求めるやり方は、守勢に回った被告を弁護する弁護士の話し方に似ている。
与えられた役割と分不相応な言葉を発するようになった時、人々はその言葉を発した動機を疑うようになるものだ。人々がその存在を負担に感じ、社会の統合どころかさらなる分裂の主犯格と見られるようになったのは、盧大統領特有の表現の仕方がもたらした自然の帰結というべきものだ。10%台前半にまで下がった盧大統領の支持率は、盧政権の「コミュニケーション実験」が失敗に終わったことを物語るものだ。
しかし、インターネットを「伝家の宝刀」のように活用しながらも、デジタル時代に見合ったリーダーシップとコミュニケーションの新たな類型を確立するのに失敗し、メディアとの無用の対立を生むことによって、円滑な政策遂行に失敗した。「立派な政策がなければ雄弁もできない」というが、盧大統領の政策はいつも彼の発言のために台無しになってしまった。結局、盧大統領は「失敗した雄弁家」として歴史に名を残し、その台無しになった政策は盧大統領の「失政」として歴史に名を残すことになるのだ。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/21/20070221000072.html
ひどい!!
歴代こんなに笑わせてくれた大統領は居ないと言うのに!!