「ついに来てしまった」/強行に住民ら怒り
【嘉手納】“最新鋭”を誇る米空軍のステルス戦闘機F22Aラプター二機が十七日正午すぎ、地元の反対を押し切って嘉手納基地に着陸した。地域住民は「負担軽減に逆行している」と一斉に反発。長年、同基地の騒音に悩まされてきた新嘉手納爆音訴訟団は「道の駅かでな」に街宣カーを繰り出し、「住民の我慢は限界にきている」と怒りの声を上げた。
「とうとう来てしまった」。F22の飛来を目撃した、道の駅かでなの売店で働く南純子さん(68)=嘉手納町南区=は「米軍再編は住民の負担軽減を訴えているが、嘉手納は強化が進む一方。なぜ嘉手納にばかり負担を押し付けるのか」と怒りをあらわにした。
同基地に隣接する嘉手納町東区の島袋敏雄自治会長(62)は「最新鋭の戦闘機やその要員が配備されることで、事件・事故の危険性は高まる。日米両政府は地元住民の不安の声をしっかりと受け止めてほしい」と話した。
街宣カーの壇上で抗議の声を上げた新嘉手納爆音訴訟団の仲村清勇団長(69)は「やりたい放題の米軍に、住民の怒りは限界にきている。これ以上の負担は絶対に許せない」と訴えた。
「『基地縮小』、『負担軽減』という言葉の意味が分かっているのか」。嘉手納基地からの騒音に日々、悩まされる北谷町砂辺区の松田正二自治会長は怒りをぶちまけた。「われわれはいつも裏切られてばかり。日米両政府で決めたことは、嘉手納基地の負担軽減だったはず。しかし、現実は誰の目から見ても強化でしかない。不信感でいっぱいだ」と吐き捨てるように言った。
嘉手納基地の北側に位置する沖縄市白川の黙認耕作地では、朝から畑にくわを入れる姿が見られた。F22が飛来する様子を真下から見た男性は、「意外と静か。でもここで働く人は皆耳が遠くなっているから、そのせいかもしれない」と苦笑する。
最新鋭機の配備に「嘉手納基地は強化されるばかりで大変だ。このままではいつまでも返ってこない。反対しなければいけない」と語気を強めた。
一方、離れた所で耕作していた女性は「飛行機が飛ぶのにはもう慣れてしまった。何があるか分からないから、備えはしていた方がいいのではないか」と語った。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200702171700_02.html
>「意外と静か。でもここで働く人は皆耳が遠くなっているから、そのせいかもしれない」と苦笑する。
>「飛行機が飛ぶのにはもう慣れてしまった。何があるか分からないから、備えはしていた方がいいのではないか」
運動家以外は平静ですな。
湾岸戦争時の屋良小児童 16年後も変わらぬ不安
小6当時のサイン帳を手にする(左から)池原さん、田仲さん、伊禮さん=嘉手納町の道の駅かでな
1991年1月に始まった湾岸戦争に連動した米軍嘉手納基地の物々しい動きに対し、嘉手納町立屋良小学校の当時の児童らは「沖縄も戦争になるのでは」と不安に駆られ、同級生の名前やイラストの寄せ書きを募った。
あれから16年。パトリオット・ミサイル(PAC3)に続き、F22Aラプター戦闘機10機が18日までに嘉手納基地に配備された。
「危険な所に住んでいるんだなって思う」。寄せ書きを集めた1人、田仲美香さん(28)は、漠然としていた恐怖心が今、具体的になっていると話し、同級生の池原美幸さん(28)と伊禮さちえさん(28)もうなずいた。
湾岸戦争当時、屋良小学校6年生だった田仲さんらは、当時のことを鮮明に覚えている。教室のテレビがリアルタイムに戦況を伝え、窓の外には頻繁に飛び立つ戦闘機が目に入った。
児童たちは当時、修学旅行を控え、ひめゆり学徒隊について学習していた。「基地から近いから攻撃されるかもしれない」。同級生の間では、そんな会話もあったという。湾岸戦争が沖縄戦と重なって見えた。
「戦争になったら、自由でなくなる。みんなのことを思い出に残したい」。田仲さんは、同級生や部活の仲間に初めはノートの切れ端に、その後はサイン帳に寄せ書きをしてもらった。
「米中枢同時テロに北朝鮮のミサイル発射、イラク戦争、何かあるたびに嘉手納は大丈夫かと心配になる。これ以上、危険な所にしないでほしい」。田仲さんらは、最新鋭ステルス戦闘機の配備に不安を募らせている。(問山栄恵)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-21425-storytopic-1.html
沖縄戦の記憶でもあるのか?