ホンダ氏、慰安婦決議案に自信 日本政府に「謝罪」を求める
【ワシントン8日共同】太平洋戦争中の従軍慰安婦問題をめぐり、日本政府に「謝罪」を求めた超党派決議案を先週提出した米民主党の日系下院議員、マイケル・ホンダ氏は8日会見し、ペロシ議長の理解も得た上で、本会議での早期可決に自信を示した。議長は議事運営に絶大な権限を持つため、従軍慰安婦決議案が初めて可決される公算が大きくなってきた。
元慰安婦の証言求める 米下院15日に公聴会
【ワシントン8日共同】米民主党で日系のホンダ下院議員らが先週提出した太平洋戦争中の従軍慰安婦問題をめぐる超党派決議案に関し、下院外交委員会小委員会が15日に元慰安婦を証人とする公聴会を開く見通しとなった。元慰安婦を招く公聴会は米議会史上初。韓国、オーストラリアの元慰安婦3人が証言する。公聴会開催は決議案を本会議で可決したい民主党指導部の意向を反映しているとみられる。
http://www.excite.co.jp/News/world/20070209081054/Kyodo_OT_CO2007020801000738.html
日本の従軍慰安婦に連行されたオランダ人女性が証人に
米国下院外交委員会アジア太平洋地球環境小委が15日、下院で日本軍従軍慰安婦聴聞会を開く。
第2次世界大戦当時、慰安婦として連行されたオランダ人女性が証人として出る。オーストラリアに住むヤーン・ルーフオヘルンさん(84)が主人公だ。彼女は「慰安婦問題に対して日本政府が公開で謝罪しなければならないという内容の慰安婦決議案が米国下院で成立してほしい」とし、下院外交委の証人出席要請を快諾した。
◆「あのとき、あの恐怖、絶対忘れない」=ヤーンさんは1941年12月、日本が太平洋戦争を起こしたとき、オランダ領東インド諸島(インドネシア)ジャワ島に暮らしていた。日本軍は4カ月後、ジャワを占領し、ヤーンさんの家族を含むオランダ人たちを収容所に入れた。そして2年後21歳のヤーンさんを含むオランダ人女性100人をジャカルタ南ボゴールに連行した。そこで彼女らは日本軍の性の奴隷になるという話を聞いて驚愕した。
ヤーンさんは2001年、オーストラリアABC放送とのインタビューで「あのとき、私たちが『ジュネーブ協定違反』と叫ぶと日本軍はにやにや笑った」と回想した。ヤーンさんらはそのとき、日本式の名前を1人ずつ与えられた。ヤーンさんには何かの花の名前が付けられたが、記憶から消してしまった。彼女は過去を隠して暮らした時代、花が嫌いだった。慰安婦生活を思い浮かべるからだ。英語が分からなかった2人の娘に、誕生日のプレゼントとして花をくれると言われても素直に笑えなかった。ヤーンさんは慰安所に入ってから少し立って髪の毛をすべて刈ってしまった。「はげ頭のように見えれば日本軍が嫌やがるだろう」と思ったからだ。しかし日本軍はそんな姿にもっと好奇心を感じたようだと彼女はABC放送で明らかにした。それとともに「あのときのあの恐怖を絶対忘れることができない」と話した。
ヤーンさんは92年、慰安婦出身韓国人女性3人が日本政府に公開謝罪を要求したのをテレビで見て、自分も過去を明らかにして闘争しなくちゃいけないと決心した。それで同じ年の12月、東京で開かれた日本の戦争犯罪聴聞会に出て証言した。
◆「証言でおびただしい反響起こす」=ヤーンさんはオーストラリアの放送で「日本は私たちが死ぬことを願っているが、私は日本政府が慰安婦被害者たちに謝罪と補償をするまで闘争する」と言った。そんな彼女が米下院で証言すれば波紋は大きく広がるだろう。下院のある関係者は8日「ヤーンさんと韓国人キム・クンジャ、イ・ヨンスさんが証言すれば米国人は『当時の日本軍はそれほど残忍だったのか』と思うだろう」とし「彼女らの証言で慰安婦決議案の下院成立の可能性は高くなる」と話している。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84460&servcode=500§code=500
>「あのとき、私たちが
『ジュネーブ協定違反』と叫ぶと日本軍はにやにや笑った」
ジュネーヴ協定(ジュネーヴきょうてい)は第一次インドシナ戦争を終結させるために1954年スイスのジュネーヴで開かれた和平会談によって合意された休戦協定。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E5%8D%94%E5%AE%9A
太平洋戦争 1941年~1945年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
……。時期が合わない。
もしかしてジュネーブ条約の間違い?
ジュネーブ条約(ジュネーブじょうやく, Geneva Conventions)とは、戦時国際法としての傷病者及び捕虜の待遇改善のための国際条約である。
その後ジュネーヴで締結された以下の諸条約も含めて「ジュネーヴ条約」と呼ぶ。
「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約」(1864年)
「傷病者の状態改善に関する第2回赤十字条約」(1906年)
「傷病者の状態改善に関する第3回赤十字条約」(1929年)
「俘虜の待遇に関する条約」(1929年)
「戦地軍隊における傷病者の状態の改善に関する条約」、「赤十字条約」とも呼ぶ。広義では、同じくジュネーヴで締結された戦争犠牲者保護のための「ジュネーヴ諸条約」(「戦争犠牲者保護諸条約」ともいう) のことをも含む。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E6%9D%A1%E7%B4%84
1864年に締結されたジュネーブ条約は、傷病者及び捕虜(つまり兵士)の待遇に関する物なので、この件に該当するのは、戦争犠牲者保護(民間人含む)のための
「ジュネーヴ諸条約」
ジュネーヴ諸条約(Geneva Conventions)(ジュネーヴ四条約、赤十字諸条約、戦争犠牲者保護条約とも言う)とは、1949年に締結された以下の4つの条約を指す
戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第一条約)(傷病者保護条約)
署名 1949年8月12日(ジュネーヴ)
効力発生 1950年10月21日
海上にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第二条約)(難船者保護条約)
署名 1949年8月12日(ジュネーヴ)
効力発生 1950年10月21日
捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第三条約)(捕虜条約)
署名 1949年8月12日(ジュネーヴ)
効力発生 1950年10月21日
戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約(第四条約)(文民条約)
署名 1949年8月12日(ジュネーヴ)
効力発生 1950年10月21日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E8%AB%B8%E6%9D%A1%E7%B4%84_%281949%E5%B9%B4%29
……。
どっちにしても、終戦後の条約じゃないか。
誰か、この婆あどもをなんとかして下さい。