防衛省発足 歯止めのかかる組織に
「省」の語感は重い。「庁」の時代に比べて、存在感がぐっと増したようだ。きょう付で防衛省が発足した。
北朝鮮の「核保有」をめぐって東アジアが不安定化している時だけに、頼もしさを感じる人がいるかもしれない。しかしそれ以上に「肥大化するのでは」「暴走は防げるのか」という不安を抱く人が多いのではないか。
防衛省は、文民統制(シビリアンコントロール)を徹底し、何を考えているのかが見える透明感のある組織になることで、国民の懸念を解消しなければならない。
省への昇格で何が変わるのか。 対外的には国際標準並みの「格」が得られ、信用度が上がるという。対内的には、予算を財務省に直接要求したり、閣議開催を求めたりできるようになる。現業官庁から政策官庁に転身することと合わせて、ほかの官庁並みに発言力が強まる。
変わらないものは何か。
相手の武力攻撃を受けて初めて力を行使する「専守防衛」や「非核三原則」「文民統制」など日本がこれまでに示してきた平和国家としての基本方針だという。
つまり組織は強化するけれども中身は変わらないから心配はご無用、と政府は言いたいようだ。
ただ私たちはどうしても旧軍の歴史が忘れられない。統帥権を盾にして議会の論議を封じ、自分たちの言うことを押し通した結果、アジアの恨みを買い、日本を破滅に導いた元凶である。
その反省から生まれたのが先の基本方針だった。制服組がはやろうとした時、文民統制の歯止めは本当にかかるのか。現場の「専門知識」に引きずられないか。疑問はなかなか氷解しない。
自衛隊・防衛庁の創設は一九五四年。東西冷戦のさなか、米国の強い働き掛けによる。その後の装備の充実で、今や米国からイラクへの派遣を求められ、米軍再編では指揮系統に組み込まれるほどになる。その過程は「日米同盟」深化の歩みといっていい。
省への昇格を、自衛隊の在り方を本格的に考える機会にしたい。それは、今回の法改正で「専守防衛」と並ぶ本来任務とされた「海外活動」の限界を問うことに重なる。平和憲法の下、多くの国民が米国の意向をくんだ軍事的な国際貢献を望んでいる、とは思わないからである。
どこまで米国にお付き合いするのか。開かれた議論をする時だ。
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200701090116.html
そんな記者の予想と思い込みだけで社説を書かれても。
ていうか、戦争を始めたのは当時の国民だから!