紡ぎつなぐ友好の糸/当世神さま事情
■広げる/伝説に息づく日韓交流
昨年8月19日、台風の接近で荒れ模様となった韓国・浦項(ポハン)市の虎尾岬(ホミコッ)。財団法人「しまね国際センター」の公募ツアー「日韓親善島根少年の翼」のメンバー32人と現地の中学生33人が1組の男女の像を見た。韓国の古書「三国遺事」に登場する伝説の夫婦「ヨノラン」と「セオニョ」だ。
新羅時代、ヨノランがこの付近で海藻を取っていると、乗っていた岩が動き出し、日本へ。王になったヨノランを追いかけて日本に渡ったセオニョも妃(きさき)になった。太陽が隠れて真っ暗になった新羅は、2人に戻るよう伝えるため、使いを出す。だが「日本で国造りをしているので戻れない」と断る2人。使いがセオニョの絹織物を持ち帰ると、新羅に日差しが戻った――。
日韓の子どもたちは先月完成した文集に、感想を記した。「ヨノランとセオニョの話を聞いて、日本と韓国の関係には古い歴史があったと感じた」「台風にあおられる海には、日本のにおいもまざっているかもしれない」
浦項から日本海を越えて東に約300キロ。出雲の地にも朝鮮半島とのかかわりを示す伝説が息づく。出雲神話の英雄スサノオノミコトが高天原(たか・まが・はら)を追放されて新羅に渡った後、粘土の船で出雲に天下り、ヤマタノオロチを退治したとされる言い伝えだ。
「ともに主人公が岩や土の船で日本へ渡っている。主人公は個人でなく、米作りなど朝鮮半島の高い技術を伝えた集団の象徴ではないか」
「島根少年の翼」の団長を務めた松江市立津田小学校長の錦織明さん(57)は二つの神話の共通点をこうとらえる。県国際理解教育研究会の部長で02~03年、二つの神話を教材に両国で授業をした経験を持つ錦織さんは、今年も子どもたちと虎尾岬を訪ねたいと考えている。「日本海には古代から盛んな交流があり、朝鮮半島から渡ってきた人たちを日本人は温かく迎え、協力して国造りを進めたと思う。当時の友好の歴史を表す神話を多くの人に伝えたい」
◇感じた歴史◇
出雲神話の舞台の一つ、出雲市長浜地区では草の根の日韓交流が続いている。
一帯は「国引き神話」で、新羅の土地を出雲に引き寄せた綱にたとえられる土地だ。太古の時代、斐伊川や日本海とつながる湖だった位置にあり、当時交流の玄関口だったと考えられている。
こうした歴史を地域おこしにつなげようと、住民や市内の在日韓国・朝鮮人らが98年、「いずも長浜JK委員会」を結成し、両国にとってゆかりの深い県内の史跡めぐりなどの活動を続けている。地区内の市立長浜小学校と慶尚南道(キョンサンナムド)・金海(キメ)市の慶雲(キョンウン)初等学校は99年から、双方の希望者20~30人が1年おきに互いの学校を訪問、伝統芸能の披露やホームステイなどで交流を深める。歴史認識や竹島の日条例制定をめぐって日韓両政府の関係が悪くなっても、途切れない太いパイプが築かれつつある。安達富治・委員長は「国と国の間でいろいろな問題が起きても、交流を続けていくことが大事。一回でも多く続け、子どもたちに様々な体験をさせてあげたい」と話す。
http://mytown.asahi.com/shimane/news.php?k_id=33000000701050003
よく韓国人が、日本の支配者層は朝鮮人の子孫だと喚いていたが、この辺りが根拠なのかな?