軍拡につなげてはならぬ 防衛省昇格
「防衛省」が来年1月に発足する。
防衛庁を内閣府の外局から独立させ、省に格上げする関連法が成立した。
「防衛相」は他の閣僚と同格の権限を得る。2007年度には防衛施設庁を統合し、名実ともに外国の国防機関に引けを取らない組織となる。
省になれば、内閣府を通していた国防関連法案の閣議提案や財務省への予算要求を、防衛相が直接できるようになる。
もちろん自衛隊の最高責任者が首相であることはこれまで通りだ。政府は「省になっても、自衛隊の活動内容や規模は実質的には変わらない」と説明する。
外国への見栄えや、自衛隊員の士気向上といった効果はあろうが、今すぐ昇格が必要という理由にはならない。
1954年の防衛庁発足以来、省昇格を求める声は根強くあった。あえて「庁」にとどまっていたのは、太平洋戦争の経験と反省から、国民が軍事に厳しい目を向けてきたからだ。
悲惨な戦争は繰り返さないという国民の総意が、自衛隊を「普通の軍隊」にしない安全弁として機能してきたのだ。専守防衛に徹し、侵略戦争はしないというアジア諸国へのメッセージでもあった。
しかし、東西冷戦終結後、自衛隊に求められる役割も変わってきた。
大規模災害救援活動や国連平和維持活動(PKO)で海外に派遣される機会が増え、国際貢献に取り組む自衛隊への評価は肯定的になった。北朝鮮の核開発の脅威は、国民の危機感を募らせた。
こうした「追い風」が、防衛庁の悲願達成に有利に働いたのだろう。
だが、組織の格上げは機能の強化や活動範囲の拡大に向かうのではないか。自衛隊が「軍隊」へと変質する第一歩にならないか、との危惧(きぐ)はぬぐい切れない。
実際、省昇格と併せて、自衛隊の海外活動が、これまでの「付随的任務」から「本来任務」に格上げされた。
自衛隊が海外で米軍などと行動をともにする機会が増えれば、集団的自衛権の行使に至る事態も生じかねない。
さらに、政府与党には、海外派遣のたびに特別措置法を定める現行の方式を、随時派遣が可能な恒久法に変えようという動きがある。
閣僚からは、核保有論議が必要だという声が上がり、集団的自衛権や憲法9条の見直しも取りざたされている。
NHKの直近の世論調査では、防衛省昇格に「反対」は31%で、「賛成」の25%を上回った。国民は近ごろの安全保障論議につきまとう「きな臭さ」を感じ取っているのだ。
だが、国会の審議は、防衛施設庁の官製談合問題に多くの時間を費やし、省昇格の必然性や安全保障の在り方についての論議は極めて不十分だった。
「省」という立派な衣の下に、「軍事大国化」という鎧(よろい)が隠れていないか。国民が注視していかなければならない。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/syasetu/20061216/20061216_001.shtml
>悲惨な戦争は繰り返さないという国民の総意が、自衛隊を「普通の軍隊」にしない安全弁として機能してきたのだ。専守防衛に徹し、侵略戦争はしないというアジア諸国へのメッセージでもあった。
そこが思いっきり間違っていると思うのですが。