また立ち読みしてきたわけですが。
「司馬史観」批判本です。
司馬本はドラマと一緒だ。「司馬史観」ってほどのものかと言いつつ、でもやっぱり本一冊書いてしまうぐらい語っちゃっています。
司馬遼太郎は殆ど読んだ事が無いのもあって、作者が熱っぽく語るのにイマイチ付いていけなかったり。というか、私なら「小説だから」で片付けてしまいそう。
歴史好き、司馬遼太郎好きな人には、面白く読めるでしょう。
これを読んでいて思い出したのは、歴史家に赤入れ頼んで結局企画が潰れちゃったある小説家さんのお話。
かなり後になってから、そのときのお話をちょっと聞くことが出来たのですが、そのときの言葉が
「歴史家と小説家はアプローチが違う」
歴史家側の認識とズレがあって、「ふーん、成る程」と思った事がある。
もしかすると先日放送された
虹を架ける王妃の脚本家も、実は大変だったのかも知れない。
夫婦愛を描きたいのなら歴史問題など邪魔でしかないだろう。
あれを入れろ、ここが違うと要求されて、完成したのは単純につまらないドラマだった。
私が昨日書いた年金の話も省略している部分があって、専門家が見たなら「厳密には…」と言われそう。でも散歩道的には、根本的な問題点さえ押さえてあれば、あれでいいわけだ。
あれもこれもと盛り込んでいたら、言いたい事にたどり着かない。
この「司馬史観」批判本でも、ある学者が「司馬氏の話は筋が通りすぎていて、一言言いたくなる時がある。」と語っていたが、最終的に「伝えたい事」に向かっていくように物語は出来ているのだから筋が通って当たり前。
要するに、歴史家と小説家は拘るポイントが違うんだな、と。