BC級戦犯15人の遺書/朝鮮半島出身軍属や司令官
シンガポールのチャンギー刑務所で1947年、BC級戦犯として死刑になった軍人と軍属計15人が冊子に記した遺書を残していたことが30日分かった。
同刑務所は遺書を禁じていたため、死刑囚の絶筆がまとまった形で確認されたのは珍しい。15人の中には、軍属として徴用された朝鮮半島出身の捕虜収容所監視員3人も含まれ、BC級戦犯裁判の実態を知るための貴重な史料といえる。
朝鮮半島の京畿道出身の陸軍軍属趙文相(チョ・ムンサン)さんは英語を話せるため、監視員のほかに通訳も務めていた。処刑前日の同年2月24日、「垂乳根の母が○放れかくばかり 術なきことはいまだせなくに」(○は判読不能)という短歌を書き残し、日本名の平原守矩と署名した。
同じく監視員だった朴栄祖(パク・ヨンチョ)さんは心境を語る歌の後に、日本名新井宏栄を書き、その下に括弧に入れて本名も記した。
同年5月28日に処刑された第16軍司令官原田熊吉中将は「俎上心境」と題した漢詩を残した。処刑前の自身をまな板の上のコイに例え、死を受け入れる決意を示した。原田中将は関東軍参謀、中支那方面軍特務部長を歴任した旧日本陸軍中枢の1人。
この漢詩を読んだ二男の修さん(79)は「やはり、腹が据わっていたと思いますね」と声を絞り出すようにして語った。
冊子は、英文の伝票や地図の裏に鉛筆で書かれていた。死刑囚房に出入りできた人物が、ひそかに持ち出したものとみられる。作家の山中恒氏が東京の古書市で入手し、保管していた。
http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20060930000271
朝鮮半島出身でも戦犯はいるし、司令官にもなれたんだね。と当たり前の事実を再確認。