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歴史認識 政治家が語れぬとは
1972年9月25日、北京の人民大会堂に当時の田中角栄首相を迎えて夕食会が開かれた。歓迎のあいさつに立った周恩来首相はこう述べた。
「中国人民は、毛沢東主席の教えに従って、ごく少数の軍国主義分子と広範な日本人民とを厳格に区別してきました」
この歴史的な首相訪中で、日本は中国との関係を正常化した。夕食会の様子はあいさつ文とともに当時の新聞などで報じられた。
これが34年後の自民党の総裁選で、争点のひとつに浮かび上がってきた。根底にあるのは、日本の近現代史をどうとらえるかという、歴史認識の問題である。
日本記者クラブでの公開討論会の席で、谷垣禎一財務相がこう述べた。「日中国交正常化をした時に、中国は戦争指導者と一般の日本国民を分けて国民に説明した経緯があった」
A級戦犯が合祀(ごうし)される靖国神社に小泉首相が参拝することは、この中国側の整理を突き崩してしまった。だから中国政府が強く反発している、という趣旨の指摘だった。
これに対し、安倍晋三官房長官は「そんな文書は残っていない。国と国とが国交を正常化するのは、交わした文書がすべてなんだろうと思う」と反論した。
外交とは、水面には見えない交渉が下支えしている。国交正常化の際、中国側はこの理屈で、まだ反日感情の強く残る国民を納得させ、賠償を放棄した。日本はそれに乗って国交回復を実現させた。
両国の共同文書には入らなかったが、そうした事情で困難な交渉がまとまったことは、広く知られている。
それを今になって「文書がすべて」と片づけてしまうのは、中国側の苦心に冷や水をかけるものだ。あまりに一方的な議論ではないか。
安倍氏の発想の根っこにあるのは、あの戦争を侵略戦争と言いたくないという歴史観だろう。
谷垣氏は、戦争の多面性を認めつつ「中国との関係で侵略戦争であったことははっきりしている」と言う。麻生太郎外相も「満州国建国以来、南京攻略に進んでいったのは侵略と言われてもやむをえない」と語る。これに対して、安倍氏は「歴史認識は歴史家にまかせる」と論争を避けている。
これはいかにも奇妙な論理だ。私たちは、邪馬台国がどこにあったかという遠い過去を論じているわけではない。今でも多くの人が記憶している20世紀の戦争の評価を問うているのだ。
確かに、細かい事実の確定は歴史家に任せるべきだろう。しかし、それを全体として評価し、どこが間違ったかを反省し、教訓を現代に生かすのは国民を導く政治家としての責任ではないのか。侵略の被害を受けた国と新たな関係を築くための最も大事な土台でもある。
20世紀最大の戦争について歴史観を語れぬ首相が世界に通用するはずがない。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
>戦争指導者と一般の日本国民を分けて
そんな都合のいい話が認められるものか!
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