【私の考えは】政治で難しくなった日韓関係、経済・文化交流の拡大で解決しよう
7月中旬、韓国では例のない豪雨により大きな被害が出た。ほぼ同じ頃日本でも豪雨による被害が各所で発生した。河川の増水、洪水、土砂崩れ、道路の損傷などで、死亡者・行方不明者も多く、家屋等への被害は甚大である。どちらの国でも同様な種類の被害が人々の生活に困難をもたらした。被害者の方々にお見舞いを申し上げたい。
この最近の災害について、それぞれの国では連日ニュースで大きく取り上げられてきたが、他方の国の災害については、多くは報じられなかったので、お互いに同じような状況にあることは、あまり知られていないかもしれない。当地で双方のニュースをテレビで見ていた自分にとって、画像だけではどちらのニュースが判然としないほどだった。
両国は実のところ、多くのことを共有しているが、今回の豪雨による災害が改めて印象づけているように、地理的近接からか、気象という自然現象までも、共有しているようだ。
韓国と日本は、不思議なほどに結びついている。
この韓国に着任してから、早くも1年になる。
雨の上がった週末、久方ぶりにソウルの近郊の山に登った。久しぶりの青空だった。山を登りながら、日韓関係に携わってきたこの1年を振り返ってみた。
赴任当初、韓国の第一印象を聞かれ、街にみなぎる、人々のダイナミズムを挙げた。この国民の活力は素晴らしい。この印象は時とともに強まることはあっても、弱まることはない。先頃のワールドカップの際の若者を中心とした応援にもその一面が窺われた。
韓国の経済力にも目を見張るものがある。世界市場で高く評価されている多くの製品、その開発力にも活力が感じられる。世界で10位の経済力となったとの見方も有力だ。世界で200近くも国のある中で10位と言うのは大変なことだ。まさに「『韓国の興隆』(Rising Korea)」ではないだろうか。ただ、その割には時折韓国の人から、「韓国は小国だから」と言う枕詞で話を聞かされる。不思議で、違和感がある。どの国でも時々の経済は色々課題を抱えるものだ。その時々の経済上の問題はそれとして、自らの過去何十年の成長振りを大局的、グローバルに見て、客観的に評価することも必要ではないだろうか。
翻って、この1年の日韓関係について感想を述べるのは容易ではない。
国民一般の交流、経済の分野での協力は深く幅広くなっている。文化交流の面では、10年も前には、日本文化が解放されていなかったことを知る韓国の若者はいないと思わせるほど当たり前になっている。日本での韓流の人気も、もはや単なる流行に止まらない。双方の国民の往来は、昔に比べることが無意味なほどに全く次元の異なるレベルに達している。今年の3月に導入された短期滞在査証免除措置によって、交流が一層容易になった。この人々の往来に関して、こちらに赴任して改めて認識したことに、両国を結ぶ航空路線の網のような多さだ。韓国の主要地点から、日本の26もの都市が、直接、空の便で結ばれている。まるで、他国での国内線みたいに便利なものになりつつある。
それに比べて政治関係には難しい局面が次から次に生じた1年だった。
生起する諸困難は、その遠因が極めて深いところに根ざしているので、双方それぞれのそれなりの努力によっても、容易に溝は狭まらない。当面する問題は、それがいずれの問題であれ、両者の間で共通の認識を持つことが難しい。政治関係上の問題については、簡単には触れることが出来ないので、この場で語ることは控えたい。ただ、これからも、日本と韓国の相互理解の増進を図るために精一杯努力すると語るのみ。
こうした日韓の相互理解と友好の増進に向けての将来の展望を、山を歩きながら考えたとき、脳裏に浮かんだのは(当然にも)山登りの比喩だった。
日韓両国は同じ『山』に挑戦している。この『山』には、急斜面もあり、急流あり、いろいろ難所が多いが、ひたすら、遙かな頂上を目指している。その頂上も一筋縄では到達できず、あるときは大雨に進行を阻まれる、時には深い谷に下りないと先に進めない。あるいはまた、先に見えるのが頂上だと思って再び勇んで元気を出したものの、たどり着いたのはまだまだ山の肩で、頂上は遙か先に霞んでいるといったことも多い。登山はそういうことを繰り返す試練だ。
しかし、山には必ず頂上がある。いつかは必ずや山の頂に到達する、そうなれば、それからは延々と続く稜線を、白い雲を眼下に、共に進む、そんな時が待っている。
さあ、この『山』の頂上を目指し、一緒に進もう。
大島正太郞 駐韓日本大使
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=78440&servcode=100§code=120
> さあ、この『山』の頂上を目指し、一緒に進もう。
嫌です。