正論 筑波大学大学院教授 古田博司
写実的でも現実的とは限らぬ日本人 木を見て森を見ぬ東アジア認識
<<呆然とする素朴な世界観>>
もちろん筆者もそうなのだが、日本人はつくづく写実的な民族だと思うことがある。学者であれば重箱の隅をつつくような研究が得意だし、芸術家であればディテールにこだわる描写が本領であろう。
もっとも、英語にすれば両方ともリアルになってしまうから、以下私がお話しすることはおそらく日本人にしか通じまい。ゆえにこれから内証話をしたいと思う。
たとえば私の専攻は東アジアだが、中国・韓国・北朝鮮とそれぞれ専門家がおり、歴史・思想・経済・社会・文学など、さまざまに細分化されていて、お互いに微に入り細を穿ち、集まると何を言っているのか誰にもわからない。現実的な枠があれば、なんとか対話できそうなものだが、うまくいかない。
枠といえば、古代から連綿と続いた「周りはみんな良い人で、話し合えばわかる」という素朴な世界観だけである。これでよく近代化できたものだと、来し方を振り返れば、ただただ呆然とする。
かつて戦時中、兵站もあまり考えずに大陸侵略にのめりこみ、勝ち戦で万万歳と叫ぶうちに、今度は占領地に人の良い教育者や農業技術者が入り、近代教育をはじめた。
植民地となると、西欧では善良な宣教師の後に軍隊がやってくるのだが、日本では順序が逆である。まず軍が入り、そのあとに人の良い校長先生や大工の棟梁がやってきて、みんなで地域を開発し、全体で金が足りなくなると、日本政府が援助する。そして一様に善良で一生懸命に近代化をやった。
<<自分の見方だけが詳細>>
先が見えないのは本土も同じで、官僚主導で爆撃の際に「燃えない都市」を作ろうと写実的にそして緻密に計画を練った。それも現実的な焼夷弾の数発で灰燼に帰し、最後には、詰めていた将棋をアングロサクソンに将棋盤ごとひっくり返されて、ふとわれに返ったのであった。
さて、今度は平和な現代の話である。韓国の経済がよかった1990年代の前半、韓国研究者も随分と人数が増え、研究も精緻になっていった。民間企業もたくましく進出していった。しかし誰も経済危機を予測できはしなかった。
次は中国の番である。そこには金融システムもなければ、手形の不渡りに対する法的ペナルティーも存在しない。現金決済が当たり前で、その上借りたものを返すという習慣もない。したがって不良債権がたまろうとバブルははじけないとも言われる。
要するにまっとうな市場経済ではないので、経済学者たちも予想しかねているのである。恐ろしいと思うのだが、日本企業はまたも次々と進出している。そして、あの素朴な世界観が登場し、その中で議論が白熱化していくのだ。
ところが、東アジアの人々の方からみれば、日本人は話し合ってもわからない相手である。そこで現実とずれることになってまた苦しむ。
こんなことばかり繰り返しているうちに、失望の歳月は積み重なっていった。つまり、自分の方の見方ばかりどんどん細かくかつ詳しくなっていくのに対して、相手方からの視点がほとんど顧慮されてないのだ。したがって、現実的になりようがない。
<<善人と正義派こそ国過つ>>
30年間、東アジアの研究に携わってきた筆者からみれば、中国人も韓国人も北朝鮮人も日本人が圧倒的に嫌いである。これは否定すべくもない事実で直しようがない。個人的には日本人が好きでも、同族が集まって見解を述べる際には必ず反日になる。
なぜなら日本人は中華の礼(道義)からもっとも遠いところにいる蛮族なのであり、その蛮族が自分たちを見下し侵略し、なすすべもなく茫然自失しているうちに、勝手に敗戦して戦後また繁栄しているから、と見える。
日韓基本条約のときも日中友好条約のときも、そのような日本から援助が欲しかっただけで、その当時は嫉妬も押し隠して笑顔を向けた。しかしその微笑みが、本物でないことはやがて露わになっていったではないか。
そして戦後ずっと、「東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えばわかる」といい続けたのは共産主義者であり、社会主義者であり、進歩的文化人であった。伝統的なことにかけては、右も左もない。日本では「伝統的な善人」や「国際的な正義派」がいつも国を過つのである。
東アジアの人々の心を全然知らない人たち、彼らが今、血税を蕩尽し、「東アジア共同体」という巨大なプロジェクトを動かしている。
ソース:産経新聞(東京版)6月9日12版9面(オピニオン面)
>話し合えばわかる
最近つくづくコレが通じない事が多い。
新しい事実ばかり発覚するけれど、それを話して分かる相手なのか。