時代に乗り遅れているマスコミがここにも
早い話が:自民に先手の小沢流 金子秀敏
民主党の代表になった小沢一郎氏が、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)問題で新しい解決案を出した。
「そもそも(A級戦犯は)あそこに祭られる資格がない」「名札みたいなものがなくなればいい」
小沢氏は詳しく説明していないが、小野田寛郎(おのだひろお)元少尉方式だろう。
小野田氏は、終戦後もフィリピン・ルバング島のジャングルで戦闘を続けていたが、日本では戦死とされ靖国神社に合祀された。1974年に生還した時、靖国神社は祭神簿から小野田氏の氏名を削除した。戦死が事実誤認なので、はなから合祀が無効だったからである。これが「名札みたいなものをなくす」ことだ。
いちど合祀したら分祀はできないというのが靖国神社の主張だ。しかし、祭られる資格がなければ合祀は無効となる。そもそも靖国神社の祭祀について、小泉純一郎首相は「死ねばみんな仏様」と言った。祭祀を葬儀と誤解していないだろうか。明治政府は1885年、神官が葬儀に関与することを禁じた。それ以後、全国の神社は、「宗教ではない」国家神道に再編される。
戦前の靖国神社の合祀祭とは、天皇が、天皇のために戦死した兵士の功績をたたえる栄誉礼である。だから、同じ戊辰(ぼしん)戦争の戦死者であっても平等ではない。賊軍は合祀される資格がない。
ではA級戦犯の資格はどうか。東京裁判は戦勝国による政治的報復劇である。戦時国際法違反に問われたBC級戦犯の軍人軍属は戦死に準ずると言えるが、戦争の政治責任を問われたA級戦犯は戦死とは違う。連合国の言うA級戦犯は、日本人にとっては戦争指導者である。天皇を補弼(ほひつ)しながら、結果的に敗戦に導いた政治家や軍人を、天皇は栄誉の礼で遇するだろうか。合祀は、死ねば平等の葬儀ではない。祭られる者の資格の有無は、天皇が判断する。
戦後、国家神道は廃され、靖国神社は宗教法人となった。だが戦没者とその遺族のために、天皇の親拝という宗教行事は静かに続いていた。ところがA級戦犯合祀という政治的な波風が立ってから、天皇は親拝を取りやめている。小沢氏の言うように「名札」を外して合祀無効を確認すれば、自然にもとの環境に戻るのである。
一説によると、A級戦犯の合祀無効論は、自民党も検討していたという。その先手を打ったとしたら、これが剛腕小沢流か。(専門編集委員)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060420k0000e070061000c.html
>祭られる者の資格の有無は、天皇が判断する。
天皇の判断ではなく、靖国の判断ですが。
>日本人にとっては戦争指導者
戦争に向かっていったのは、当時の日本人であって一部人間だけの判断じゃないだろ。
>戦時国際法違反に問われたBC級戦犯の軍人軍属は戦死に準ずると言えるが、戦争の政治責任を問われたA級戦犯は戦死とは違う
国際法違反はOKで政治責任はダメだという理屈がどうにも理解できないのですが。
政治判断の誤りは、国際法違反よりも重いのか?
だーから、どういう権限で宗教介入をする気なのかと。
毎日新聞もなあ…。今ごろこんな稚拙な論を剛腕小沢流なんて誉めててどうするよ。