靖国で仕掛ける小沢新代表-アジア外交に新風呼ぶか
中国を読み解く視点(5)-高井潔司(北海道大学教授)
■靖国問題が対立軸に
メール問題で混迷を極めていた民主党に小沢一郎新代表が誕生し、政権奪取に向けた動きが始まった。前代表と違って小沢代表は、野党党首として対立軸の構築を重視している。そのテーマの一つが「靖国問題」である。当面の政権交代は不可能としても、小泉後継を選出する秋の自民党総裁選挙に一石を投じ、停滞しているアジア外交に新風が期待できるかもしれない。
小沢代表は、就任早々の報道機関とのインタビューで、中国、韓国との対立の原因となっている靖国問題について、「A級戦犯といわれる人たちは戦争で死んだわけではない。日本の国民に対し、戦争を指導した大きな責任があり、本来靖国神社に祀られるべきではない。戦争で亡くなった人たちの御霊を守る本来の靖国神社の姿に帰り、天皇も首相もちゃんと参拝すればいい」と述べた。先の衆院選で圧勝し、議会で圧倒的多数を占める自民党に楔を打ち込むテーマはアジア外交、靖国問題だと見据えているようだ。実際、マスコミもこのテーマに関する小沢発言を大々的に取り上げている。
■単純な論理には単純な論理で
小沢氏の議論は何とも単純、明解である。ポスト小泉ナンバーワンの呼び声高い安倍晋三官房長官はさっそく、「政府が合祀の取り消しを申し入れれば、憲法の定める信教の自由と政経分離の原則に反する」と批判した。安倍長官の批判にはもちろん一理ある。靖国神社は一宗教法人であり、憲法20条で「信教の自由は何人に対してもこれを保障する」と規定されていて、国が干渉できないからだ。
ただ、政治の世界では単純な議論がまかり通る。小泉純一郎首相の政治姿勢も「ワンフレーズポリティックス」と評されるように、問題を単純化して大衆に提示し、その支持を集めるものだ。靖国参拝もそうである。憲法20条で「いかなる宗教団体も国からの特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」「国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない」と規定されているのに、「心ならずも戦場に行かれ、亡くなられた方に心から哀悼の誠をささげる」のは首相の義務であるかのように、参拝する。裁判所によっては憲法違反の判断さえ出ているのに、小泉首相は単純の議論を繰り返して毎年参拝を継続してきたばかりか、「他国から言われてやめるわけにはいかない」とポスト小泉の有力候補たちにもにらみを効かせているのだ。
「変人」の論理には「剛腕」の論理が有効かも知れない。共通しているのは、「戦没者への追悼は国民の素直な感情」対「A級戦犯は戦没者ではない」という単純な議論である。小沢氏の議論にも問題点は多いが、論議を巻き起こすには単純な議論の方が望ましい。安倍長官のように「国は(宗教法人に対して)分祀を指示することはできない」と小ざかしい憲法論議を持ち出すなら、そのような一宗教法人に首相や国会議員が参拝することこそ憲法上問題があるという議論で対抗し、議論を盛り上げていけばいいだろう。
■国は合祀に深く関わってきた
ちなみに、分祀に国は関与できないといいながら、実はA級戦犯の合祀に国は強く関わってきた。靖国神社の祭神数は1956年秋から58年にかけて急激に増えているが、その背景には厚生省がその合祀事務に協力し、戦没者や戦犯の名簿を靖国神社に送っていたという事実がある(56年11万2609、57年47万10、58年21万7536)。しかも、厚生省は遺族に対しては合祀について何も連絡していない。
この点について、田中伸尚氏は『靖国の戦後史』(岩波新書)で「このような膨大な合祀がなぜ短期間に可能だったのか、言うまでもなく、公的機関(厚生省)の合祀協力があったことと、合祀についての遺族の了解を得るという手続きがなされていなかったからである。それがなされなかったのは、『国のための』戦没者を国家が祀る(褒める、感謝する)のは当然であり、その『場』は近代日本の始まりから靖国神社であった、という暗黙の共通認識が政府関係機関にあったからではないか。そこに、敗戦前の国家・社会と地続きとしての戦後の姿を見る」と分析する。
「単純な議論」を離れて、さらに合祀の経緯について論及するなら、A級戦犯の合祀に踏み切った当時の松平永芳宮司は雑誌『諸君』の92年12月号で、以下のようにまさに国の関与を認めている。
「(昭和)28年の16国会では、超党派で援護法が一部改正されました。それで、いわゆる戦犯死亡者も一般の戦没者と全く同じ取り扱いをするから、すぐ手続きをしなさいという通知を厚生省が出しているんですね」「国際法的にも認められない東京裁判で戦犯とされ、処刑された方々を、国内法によって戦死者と同じ扱いをすると、政府が公文書で通達しているんですから、合祀するのに何の不都合もない」
「いわゆるA級戦犯合祀のことですが、私は就任前から、『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。それで、就任早々書類や総代会議事録を調べますと、その数年前に、総代さんのほうから「最終的にA級はどうするんだ」という質問があって、合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。私の就任したのは53年7月で、10月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく、そういう書類をつくる関係があるので、9月の少し前でしたが、『まだ間にあうか』と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって十四柱をお入れしたわけです」
まさに田中氏が指摘しているように、厚生省⇒靖国神社⇒宮内庁という流れで戦前の手続きを踏襲し、合祀に国は深く関与しているのである。
小沢氏は4月11日の毎日新聞のインタビューに「(A級戦犯は)日本人に対し捕虜になるなら死ねといった。自分たちは生きて捕虜になったでは筋道が通らない。戦死者でもなく、靖国神社に祭られる資格もない」と述べた上で、「名簿から削除すればよい」と、厚生省およびそれを受けて靖国神社が作成した名簿(霊璽簿)にも言及している。
■総裁選の争点に浮かび上がる靖国問題
議論が憲法問題にまで発展するなら、これまでの靖国違憲訴訟の経過を踏まえて、改めて国民的にしっかり議論すればよい。民主党の前代表はそういう仕掛けをしてこなかった。靖国参拝に反対しているのは中国や韓国だけではない。多くの世論調査によれば、日本の国民の過半数が反対しているし、大新聞はこぞって首相の靖国参拝に反対、ないしは疑問を投げかけている。「小泉劇場」は議論の単純化で国民を観客席に追いやり、国民的議論をつぶしてきた。マスコミも議論の場を提供しないできた。だが、野党党首が対立軸を明確にすれば、マスコミも取り上げざるを得ないだろう。
小沢発言は自民党内にも風穴を開けそうだ。そもそも靖国問題については、ポスト小泉の有力候補の間には食い違いがある。小泉首相の秘蔵っ子の安倍長官は靖国問題でも首相と同じ立場だが、麻生外相は小沢氏と同様A級戦犯の分祀も視野に入れた発言をしている。福田康夫元官房長官は別の公的な追悼施設の建設を主張してきた。谷垣財務相は立場を鮮明にしていないが、福田氏に近い立場である。小泉-安倍ラインは、靖国問題は総裁選の争点にはならないと『争点はずし』を狙ってきたが、小沢発言によって靖国問題が対立軸としてクローズアップされれば、総裁選でも争点とならざるを得ない。
4月14日付の毎日新聞は「靖国こそ大きな争点」との見出しで、加藤紘一元幹事長のインタビュー記事を掲載している。加藤氏は「9月の総裁選で関係が悪化した中韓などアジア外交は大きな争点になるか」という質問に対して、「非常になると思います。現実には靖国問題です。小泉さんは政治家としての心の問題と言っていますが、それだったらこんなに外交問題にはならない。対中関係のあり方を議論しないと国民は安心感を持ってついていけないと思います」と答えている。
■問題の核心はアジア外交だ
ただ、議論の核心は靖国問題ではなく、アジア外交にある。靖国は「心の問題」と議論をタブーにして、ではアジア外交をどうするのかという点まで口をつぐむ小泉政権に問題があるのだ。まずアジア外交、とりわけ対中、対韓外交の重要性をしっかり論議し、その認識の上で靖国問題の落としどころを考えていくということが肝要だろう。A級戦犯の分祀でいくべきか、別の公的追悼施設が必要なのか、は次の問題であって、まずアジア外交を立て直さなければ話にならない。安倍長官が「売り」とする拉致問題を解決するにも、韓国や中国との連携なくして進展しない。そのためには、靖国問題をどうするのか、その立場を明確にしないわけにはいかないだろう。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=0418&f=column_0418_003.shtml
今旬なのは竹島なんだけどな。
ところでこの件で小沢一郎事務所と民主党政策課に電凸した人がいます。
166 名前: 無党派さん 投稿日: 2006/04/17(月) 11:06:43 ID:nCs3gCKr
小沢一郎事務所および民主党政策課に突撃
・所謂靖国問題について、新聞等で報道されているように、戦争以外で死んだ方々を靖国に祀るのは本来の形とは違うと言う発言は、所謂分祀論だと思うが、政教分離は置いておくとして(と言う前提がムリなんだけど)、その対象と基準はどうなるのか?
戦争で死んでいないというのであれば(講和以前に敵国に処刑されたら戦死と見做すということは置いておいて)、所謂BC級戦犯の方々や、安政の大獄で獄死した武士達も対象になるのか?
戦争指導者と言うのであれば、近衛文麿や山本五十六についてはどうなるのか?
また、それを判断する基準は何で、誰が決めるのか?と質問。
事務所は、政策秘書がいないので答えられないとの答え。
政策課は、党首の意図や具体的対象を明確に確認できていない(オイ!)、また、党としての統一見解はまだない。
しかし、分祀を靖国に強要することは憲法上不可能だと思うので、政府としての見解を発表するような形になるのではないか?
とのことでしたので、早急に基準や対象の明確化をお願いしますと言っておきました。
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/giin/1126522970/166
また適当な事を言ってるだけかよ。