強制徴用労働者、組織的な抗日運動
日帝により強制徴用された労働者が、組織的な抗日運動を展開していた事の分かる文書が発見された。
28日、釜山外大の金文吉(キム・ムンギル)教授が公開した、『清算しなかった昭和史』(日本出版)という本によれば、日帝時代の代表的な炭鉱である日本・福岡の麻生鉱業所で強制徴用された朝鮮人は闘争日誌まで作成して組織的に抵抗した。
1932年8月14日に作成されたとなっているこの日誌には、『特に麻生鉱業所に反抗する為に闘争組職を結成して所期の目的が達成されるまで団結する』と言う決議文まで含まれている。
それに麻生鉱業所の各所に『一人も入鉱しないで。作業しない。ひとぐり(人繰/炭鉱責任者)の言葉を聞く以外に、会社を恐ろしく思わずに、すべて出なさい』と書かれたハングルのビラが数えきれなく振り撤かれたとこの本は記録している。
また金教授がこの日、同時に公開した日帝治安国特別高等科が1944年9月3日に作成したとなっている『朝鮮人労務者に関する調査表』によれば1943年末当時、福岡に強制徴用された労働者11万3,061人中の51.7%に当たる5万8,471人が脱出した。
特に麻生鉱業所へ強制徴用された労働者、7,996人中の61.5%に当たる4,919人が脱出したと集計されている。
この為近くの山野鉱業所の場合、1944年3月に朝鮮人飯場を建て増しの際に飯場の外郭に、高さ約7mの鉄条網を張ったという記録があると金教授は説明した。
金教授は「強制徴用された労働者も厳しい監視網を潜って集団脱出をするなど日帝に組織的に抗したようだ」とし、「3.1節を迎えこれらの抗日運動も振り返って見る必要がある」と強調した。
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=001&article_id=0001232525
凄い!
強制労働なのに、ストもビラ撒きも出来たんだ!
ハングル禁止されていたのに、ハングルのビラを撒けたんだ!
ちなみに
1938年 国家総動員法
1939年 国民徴用令(半島に適用されたのは1944年の9月以降)
どう見ても労働運動だよな。