「遺骨返還、日本は誠意を」 遺族趙さん訴え 強制連行考える北海道フォーラム
市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」は十九日、札幌市中央区の西本願寺札幌別院で集会を開き、今月十七日に赤平市でおじの遺骨と対面した韓国在住の遺族が「遺骨の返還について、日本には誠意ある対応をお願いしたい」と訴えた。
同フォーラムは戦前、戦中に強制連行や徴用によって道内で働き、死亡した朝鮮人労働者らの遺骨返還活動を支援しており、集会は四回目。
赤平市の宝性寺で十七日、趙龍文(チョヨンムン)(日本名・安川龍文)さんの遺骨と対面した、おいの趙栄奎(チョヨンギュ)さん(76)が「まだ帰国できない遺骨が日本にたくさんある。遺族が流した涙をふけるよう、日本政府は誠意を持って遺骨返還に取り組んでほしい」と述べた。
また、今回の遺骨対面に協力した赤平高校三年で郷土研究部の松本直弘さん(18)が「いつまでも平和な世が続くよう、若い私たちが努力していきたい」と強調した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060220&j=0022&k=200602205915
だから!
戦後日本が遺骨を返すと言ったら、そっちで埋葬しろと言って来たのは韓国だと。
政府、日本に「韓国人無縁故遺骨の恒久埋葬」を要請
韓日条約締結翌年の1966年、朴正煕(パク・ジョンヒ)政府は、植民支配時代(1910~45年)当時、日本に徴兵・徴用され亡くなった韓国人無縁故遺骨を日本領土に恒久的に埋葬するよう、日本側に要請していたことが、25日明らかになった。
だが、日本側は、無縁故者の遺族があらわれ得るうえ、日本国民の感情上困るとし、かえって韓国政府が一括的に引き受けるよう提案していたことが分かった。こうした事実は、外交通商部(外交部)が今月20日に秘密を解除した外交文書「在日本韓国人遺骨奉還、1974」を通じて確認された。
それによると、66年2月21日、韓国政府は、遺骨送還と関連、北朝鮮出身者を考慮し、次善の策として無縁故者の遺骨を日本内に埋葬するよう、日本側に要請した。当時まで韓国政府は、南北(韓国・北朝鮮)出身を問わず、無縁故遺骨を「一括奉還」という一貫した立場を堅持してきた。日本側は「北朝鮮出身者は引き渡しがたいが、韓国出身者の場合、韓国政府が責任を取るならば、遺骨奉還に反対しない」との立場を伝えていた。
ところが、こうした時点に、韓国政府がたとえ次善の策だと前提にしたものの、韓国出身者まで日本領土に埋葬する案を日本側に打診したのだ。これについて、政府当局者は「当時、難航中だった遺骨奉還の交渉を進展させるための苦肉の策だったもよう」だとし「だが、それ以降の交渉で、こうした案がそれ以上具体化されてはいない」と説明した。
その後、日本側は、遺族確認が済む場合「遺族主義」に基づいて、遺骨を韓国側に引き渡す、との立場を明らかにし、結局、69年の第3回韓日閣議で「縁故関係が明らかな遺骨は、縁故者の要請によって個別的に奉還する」とのことで合意した。
【韓日条約】日本に「韓国人無縁故遺骨の恒久埋葬」要請
韓日条約締結翌年の1966年、朴正熙(パク・ジョンヒ)政権が植民地時代当時、日本に徴用、徴兵され死亡した韓国人無縁故遺骨を日本領土に恒久的に埋葬するよう日本側に要請した事実が、25日明らかになった。
しかし、日本側はこの無縁故者の遺族が現われる可能性もある上、日本国民の感情上困るとし、これに反対したことが分かった。
このような事実は、外交通商部が今月20日に秘密を解除した外交文書「在日本韓国人遺骨奉還、1974」を通じて明らかになった。
韓国政府はこれまで第2次世界大戦以後、韓国に奉還されていない徴用、徴兵者の遺骨に対し、「一括奉還」という一貫した立場を堅持してきたと伝えれていた。