先日から見物している某所の議論。
まあ、議論って程のものじゃないんですけどね。
なんとなーく眺めていたら、こんな面白い書き込みがありました。
青森林太郎
「戦争反対運動は日帝という悪を打倒するための暴力的運動」と曲解したコメントがあったが、まず日帝本国が再軍備化(むしろ既に再軍備は終了し軍拡とでも言う方が適切か)=侵略軍の形成を図っている現状、日の丸・君が代制定ならびに扶桑社教科書検定および推進と明白な右傾化、明白な先祖帰りを果たそうとしている状況、そして国家公安の平和運動への弾圧が強化されている現在、これらを鑑みた場合、「戦争反対」の矛先は、日帝本国にならざるをえない。これは自明の理である。
また「反社会的な行動」として反戦運動=平和運動を一刀両断するモノの見方は、日帝警察権力が形作った社会に対し自ら迎合し、オノレの社会的地位とやらに安穏とするだけの矮小な存在として自らを規定するだけのことに過ぎない。
すなわち、日帝本国警察権力にとっては、反戦=反社会行動なのである。これは重要なことである。「戦争反対」と述べること、これは日帝本国にとっては「反社会行動」なのである。
以上のことを踏まえれば、日帝公安が規定した「極左暴力集団」が反戦運動として、諸君らネットウヨクが「暴力」と規定する武装闘争を手段として用いざるをえない局面があることも否定できない。なぜならテキは国家と言う組織としての暴力をもって、反戦運動を弾圧してくるからである。
繰り返し述べるが、これは「内ゲバ」の肯定ではない。
「内ゲバ」を日帝公安当局が扇動したソースだが、すでに(ずいぶん昔のことだが)機関紙・出版物などが反革命公安当局に押収されており、手許にないため提示できない。申し訳ない。
その公安の煽動も含め、本来であれば総括されるべきことと個人的には思う(これは以前にも述べた)が、現在の中核派を否定することにもならない。
したがって、このトピックの主題に沿って言えば、扶桑社社会科教科書採択に対し、中核派が反意を示し、反対運動を行う団体を支援することには問題が無いと言える。
文体はネット上のキャラとしても、これを本気で書き込んでいるらしいところが凄い。
凄いと言うか、もしかしたら公安に通報した方がいいかもしれない。
ところでこの問題、彼らは対策として(姑息な方法ではあるけれど)「暴力団おことわり」の看板を(形だけでも)掲げて、万一暴力団体員の参加がばれたなら、「知りませんでした」でごまかせばいいのではないだろうか。
それをしないという事は、
1.案外彼らは正直な人たち
2.特定の問題ありーな組織が関わる事を許容する事は、最初から決定している。
という事なんだろう。
組織運営に暴力組織の役割がすでに出来ているとすれば、つまり無くては運動がなりたたなくなっているとすれば、暴力組織を邪険には出来ない、と。
結論としては↓だろうなあ。
鷺宮
平和運動をやっている市民団体だからといって、
けっして聖者ではないし、
反戦や平和を謳う行為を神聖視する必要もない、
ということじゃないでしょうか。
「市民」という言葉は、党派性を帯びない
「無垢の民」のようなニュアンスで使われることが多いですが、
じっさいには政治的な言葉だし、市民団体とは
きわめて党派性を帯びた集合であるという認識を
更新してくれたということで、この一件を評価したいなと。