朝鮮から伝わった豆腐?
豆腐は中国からだけでなく、朝鮮からも伝来した、との説もある。『豆腐集説』で、日本における豆腐の異名に「おかべ」が挙げられており、豆腐が白い壁のようだからともいわれるが、『嘘南留別志』によると、豊臣秀吉が16世紀の終わりに朝鮮征伐を行った際、兵糧奉公だった岡部治郎(または岡部六弥太)が豆腐の製法を朝鮮で習得し、それを日本に持ち帰った。そこで岡部の名から「おかべ」と呼ばれたともいわれている。しかし、阿部孤柳氏は『とうふの本』の中で、これは「おかべ」という言葉がすでに室町末期に宮中で使われているので、当を得たものとは言えない、と述べている。
朝鮮の文献に豆腐が初めて登場するのは、高麗時代(10~14世紀)の『牧隠集』の中の詩「大舎求豆腐来餉」である、と『朝鮮食物史』にある。高麗時代は仏教が盛んで、仏教容認のための殺生禁止令の発令もあり、僧侶たちは豆腐をたくさん食べていた。そして、豆腐料理は仏事や法事の際に必ず出されるようになり、一般的に食べられるようになった。
朝鮮の有名な豆腐料理に「どじょう地獄」がある。鍋に水を張り、豆腐と一緒に生きたままのどじょうを入れて煮る。湯が沸くと、どじょうは熱さに耐えかねて豆腐にもぐり込む。そのうち豆腐の中にも熱がまわり、どじょうはそのまま豆腐の中で煮えてしまうという、どじょうにとっては残酷な料理であるが、鍋の中はあたかも豆腐だけに見えることから、動物性食品を食べたくなった若い僧侶たちは、高僧の前でも何食わぬ顔でどじょう入り豆腐を食べることができた、という。
この「どじょう地獄」だが、『旬の豆腐づくし』によると、ある人がいくら試してもどじょうは豆腐にもぐり込まなかった。豆腐に穴をあけてもダメだった。NHKのテレビ番組でも試していたが、どじょうが豆腐にもぐり込むことはついになかった。今のところ「どじょう地獄」は伝説上の料理としかいいようがない、としている。
ちなみに、18世紀の朝鮮の料理書『閨閤叢書』には、次のような豆腐の作り方が示してあると、『健康食とうふ』にある。
新しくとれた粒ぞろいの大豆を陽に乾かし、石臼でひいて冷水に浸け、皮をとってから、もう一度石臼で細かくひく。釜に熱湯を沸かし、石臼でひいた大豆をこれに入れる。これを木綿の袋に入れ、素焼きの平たい容器の上でもみ押さえながら絞り出す。絞りながらさらに熱湯をかけ、押えて充分に絞る。粉の部分が全部絞り出されたら、もう一度釜に戻し、火を強く焚きつけ沸騰させる。しゃもじでよくかきまぜながら、素焼きの容器に汲みとる。ひと息ついてから鹹水(かんす、にがりのこと)を少しずつ加えて固める。かたいやわらかいは適宜に判断すること。鹹水が多すぎるとすえた匂いがする。
http://www.toyoshinpo.co.jp/tofu/tofu0601_1.html
『
嘘南留別志』⇒嘘ナルベシ?
ところで豆腐業界ホームページによると豆腐の伝来は奈良時代。
日本への伝来
古くは奈良時代(710~784年)に、中国に渡った遣唐使の僧侶等によって伝えられたとされていますが、明確な記録はありません。豆腐が記録として登場したのは、寿永2年(1183年)、奈良春日大社の神主の日記に、お供物として「春近唐符一種」の記載があり、この「唐符」が最初の記録といわれています。いずれにしてもわが国で豆腐が造られたのは、奈良・平安時代からといえそうです。
当初は、寺院の僧侶等の間で、次いで精進料理の普及等にともない貴族社会や武家社会に伝わり、室町時代(1393~1572年)になって、ようやく全国的にもかなり浸透したようです。製造も奈良から京都へと伝わり、次第に全国へと広がっていきました。
http://www.zentoren.jp/info/01.html
1183年に豆腐の記述があるのに、伝わったのは16世紀なんだー。
へえー。