「目の前で幼い弟殺された」 南京大虐殺の生存者が証言 長崎市で集会
第二次世界大戦時に中国で起きた南京大虐殺の生存者と研究者を招いた「第六回長崎と南京を結ぶ集い」が十日、長崎市筑後町の県教育文化会館で開かれた。集いは、旧日本軍のアジア侵略の歴史を伝える活動に取り組む特定非営利活動法人(NPO法人)・岡まさはる記念長崎平和資料館が毎年開催している。
一九三七年にあった旧日本軍の南京侵攻で両親と五人の姉弟を殺されたという中国南京市の常志強さん(77)が、当時の体験を報告。自分の目の前で日本兵が父母や幼い弟たちの命を拳銃や銃剣で奪ったほか、姉や知人の女性が強姦(ごうかん)されたことを声を詰まらせながら語り、「今の若者に自分と同じような目に遭ってほしくない。平和が一番大切」と訴えた
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/nagasaki.html#002
また、疑わしい証言をしているおじいさんを日本に呼び寄せたようです。
> 一九三七年にあった旧日本軍の南京侵攻で両親と五人の姉弟を殺されたという中国南京市の常志強さん(77)
あわせて7人
○証言者:常志強さん
南京大虐殺生存者 男性・77才
1928年2月4日。南京市在住。日本軍の侵攻により、両親と3人の弟が殺害される。その後、生き残った姉とともに近所の女性に引き取られ生活していたが、再びやってきた日本兵に姉はレイプされ、難民区へ逃げこむ。更に、後には日本の軍機が吹きかけた薬剤により姉は急死(ペスト菌の散布と常さんは考えている)、最終的に家族すべてを失うという体験を持つ。
http://blogs.dion.ne.jp/toratanu21/archives/2408865.html
>両親と3人の弟が殺害される。
あわせて5人
虐殺の地に雨が降る――南京
壁に刻まれた「300000」という数字が雨に滲んでいた。
南京大虐殺記念館。
ここだけは絶対行かなければと思っていた。上海から約5時間。かつて日本軍が進軍した門を、韓日両市民を乗せたバスがくぐっていく。
記念館のホールで、常志強(ジョ シキョ)さんのお話を伺った。1937年12月13日、日本軍が南京に攻め入ったときに10人家族のうち6人を殺された常さん。日本語と韓国語に通訳しながらだったので、お話されていた時間は30分もなかったけれど、涙を流されながらの証言は、映像がありありと見えるような圧倒的リアルさで、身のすくむ思いだった。
(以下略)
target="_blank">http://ni-yuka.hp.infoseek.co.jp/pgh3.html
>常志強(ジョ シキョ)さんのお話を伺った。1937年12月13日、日本軍が南京に攻め入ったときに10人家族のうち6人を殺された常さん。
ここでは6人
発言するたび死者数の変わる(しかも自分の家族)証言。
安いなあ。