韓国人遺族、2審も敗訴 強制連行の国賠訴訟
戦時中に朝鮮半島から岩手県釜石市の日本製鉄(現新日本製鉄)釜石製鉄所に強制連行され、終戦までに死亡した10人の韓国人遺族が、国に計2億6000万円の賠償と遺骨返還などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は29日、請求を棄却した1審東京地裁判決を支持、遺族側の控訴を棄却した。
判決理由で西田美昭裁判長は1審同様、10人が連行され、強制労働に従事した事実は認定したが、国家賠償法施行前は国は賠償責任は負わないとする「国家無答責の法理」を適用した。
判決によると、10人は日本国内の労働力不足を補うため1942-45年に強制連行、釜石製鉄所で働かされ、同製鉄所への連合国側の艦砲射撃や労働中の事故で全員が終戦までに死亡した
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050929-00000228-kyodo-soci
↓戦前の挑戦人移住者の来歴について
「戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前には約200万人となった。増加した100万人のうち70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
残りの30万人は大部分鉱工業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令によるものはごく少数である。(中略)
終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引き上げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引き上げ計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち75%が帰還している。(中略)
現在、登録されている在日朝鮮人は総数61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、
戦時中に徴用労働者としてきた者は245人に過ぎず、現在日本に居住している者は、犯罪者を除き、自由意志によって残留した者である。」
1959年7月13日朝日新聞
ここで言っている強制連行というのは徴用労働者の事だろうけれど、もともとの数も少ないし、当時は徴兵徴用は国民の義務だし。当時、朝鮮半島は日本の一部で、当然朝鮮人=日本人なわけで。
その前に、朝鮮なんて当時は国自体存在しなかったじゃないかと。