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「雨水でご飯… 」 イ・ボンリョルさんに水道供給へ
「二度と水道水を飲むこともなく、このまま死ぬのかと思っていたが…私がこれまで秋夕(チュソク/韓国の中秋節)にもらったもののうちで、もっとも大きな贈り物です」
水道が設置されず、およそ5年間、貯めた雨水でご飯を炊いて食べていたソウル・銅雀(トンジャク)区・上道(サンド)4洞の国師峰(コクサボン)貧民村に住むイ・ボンリョル(88) さんは、秋夕を二日控えた16日午後、思いもよらない秋夕の贈り物として“水道水”を受け取り、満月のような明るい笑顔を浮かべた。
本紙14日付け紙面に載せられた「雨水のご飯、涙の食事…水道供給中断されたお年寄り」の写真を見て、ソウル南部水道事業所の職員たちが訪ねて来た。
「ソウルで未だに雨水でご飯を炊く人がいるとは、国家の恥です」 金煥朱(キム・ファンジュ/58)ソウル南部水道事業所長は、同僚職員4人とともに倒れかけたイさんの家を見回りながら、水道管をどのように設置すればいいかと工夫した。
いたるところにひびの入った家の壁なので、今にも崩れるような状態だった。職員たちは、「水道管を埋設するために地面を掘ると、家屋が崩れる可能性がある」とし、水道管を庭の片隅に設置することを約束した。
「私が韓国戦争に参戦して国家功労者表彰を受けた日より、今日はもっと嬉しい日です」。水道事業所の職員たちの手を強く握って、繰り返し感謝の言葉を口にするイさんのしわの深い顔に涙が止めどもなく流れた。
15 年前、忠清(チュンチョン)南道の中原(チュンウォン)から上道洞の山の集落に引っ越してきたイさんは、近所の共同水道を利用していたが、5年前に隣の水道工事の後、水道供給が中断だれた。ようやくイさんは水道水をただで使ってきたことに気づき、水道水を飲むことをあきらめた。水道管を敷設すれば、今まで密かに使ってきた水道料を全部払わなければならないと思ったからだ。
1950年、陸軍士官学校9期で韓国戦争に参戦し、1955 年に少領として除隊したイさんは、敵よりも恐ろしい“滞納した水道料”のため、水道水なしの生活をしたのだ。イさんの1か月間の収入は、報勳処(国家功労者に対する援護・褒賞活動などを担当する機関)から支給される名誉手当て12万5000ウォンと在郷軍人会から受け取る17万ウォンなど、30万ウォンあまりが全てだ。
イさんは壁にずらりと並んでいる大小の5つのたらいに目を向けながら、「もう、あのたらいとは別れてもよいのでしょうか」と語った。イさんの部屋のなかには、3つの炊飯器が置かれている。 ご飯用、スープ用、そして雨水を貯めておく保管用だった。
40 年前、妻に先立たれ一人で暮してきたイさんには、1男5女があったが、子どもたちは、イさんの生活を助けることはできなかった。息子は大手企業の部長出身だが、保証人となった借金のため自分が生きていくのも精一杯で、娘たちも生活に余裕がなかった。イさんはこれで自分もきれいな水で身を清めながら余生を送ることができるようになったと話した。
イさんは1993年に、自分が死んだら遺体を寄贈することをカトリック聖母病院に約束した。「私が死亡すれば、私の体で実験して火葬してもらうことにした」と話した。イさんは、報勳手当てを受け取っている報勳対象者ではあったが、これまで国の支援から忘れられた老兵だった。
なんだか…凄いな。
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