「事故死10人に4人、応急手当てできず死亡」
病院に運ばれる途中、または治療を受ける途中に亡くなった急病患者10人に4人は「きちんとした応急手当てを受けていれば生存できたケース」であることが分かった。
韓国保健産業振興院は21日に発表した報告書「応急医療運営体系の評価」でこのように指摘した。振興院は「昨年6月から1年間、全国の大学病院・総合病院の救命救急センターで死亡した202人のうち39.6%は『最短期間に、最適の病院で、最善の治療』を受けていたならば、生存の可能性があった」と分析した。
梨花(イファ)女子大学・東大門(トンデムン)病院応急医学科の鄭求英(チョン・グヨン)教授は「応急手当てを速かに受けられず、亡くなる患者の大半は、交通事故・墜落など外傷の患者」だとした。応急手当てを受けなければならない外傷患者の場合、事故直後の1時間が生命と直結する。そうした患者の大半は、脳神経外科の専門医から速かに手術を受けなければならない。
しかし、脳神経外科の医師が24時間救命救急センターで待機中の病院はほぼない。多くの人々に、応急手当てに関連した基本的な常識がない、との点も患者の生命を脅威する要素。心筋梗塞の発症で不整脈が発生したとき、救急車が現場に着くまで、家族は何の対応もできずにいるのが普通だこうした場合、心肺蘇生術が可能な人がいれば、患者が生存する可能性は5~10倍も高まる
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=66849&servcode=400§code=400
韓国では救急車に道を開けないらしい。
で、死亡率も必然的に上がるのだとか。
殺す気か・・・ 斬り!!
ソウルは本当に酷い。助かる人も死んでしまうであろう交通事情。間違いなくこのおかげで死んだ人が数多くいるはずだ。デタラメである。
さて、何に憤りを感じているかといえば毎度の事だが韓国の交通事情に関係しており、今回は救急車についてである。先日仕事に行く時にいつものようにバスに乗っていたのだが、その日はあいにくの渋滞。自分が乗ったバス停から数百メートルしか進んでおらず、立ち往生していた。そんな時どこからともなく小さなサイレンのような音が聞こえてきた。間違いなく救急車だ。私が乗り込んでいるバスと同じ道を後ろから来ているようだった。
しかしなにかがおかしい。サイレンの音がなかなか近づいてこないのだ。私は前の方に立っていたので後ろの様子を見る事は出来なかったのだが、横を向くと別車線にも車は渋滞していたのが見えたので救急車も少々渋滞にはまっているのだろうと考えていた。日本人は救急車のような緊急車両が通る時、音が聞こえれば自然と道の端に寄ろうとする。救急車も拡声器で「緊急車両が通ります」というような事を言って、他のドライバーを牽制する。
ここ韓国(ソウルだけかもしれないが)はそうではなかった。緊急車両が後ろから来ていても率先して他のドライバーが道を譲る事はない。端に寄せて止まるという概念に関しては皆無だ。救急車が後ろにいても「抜かすのはどうぞご勝手に。でも私は止まりません」という感じなのだ。なぜ緊急車両を先に行かせなければいけないという意識が働かないのだろうか。可能性として考えられる理由は以下の通りである。
1. 韓国ではそれがルールではなく、譲る事や端に寄せて止まる事を教習所で教えていないので知らない。
2. 習ってはいても他の皆が譲っていない為、自分だけが譲っても仕方がないと思っている。
3. 自分の身には関係ないのでとりあえず無視する。
4. 狭い上に渋滞しているのであれば、譲ったり端に寄せたりしようと思っても難しくて出来ない。
5. 自分も急いでいる為に、人に道を譲る余裕がない。
6. その他
これくらいだろうか。一体どれが当てはまってどれが当てはまらないのかは分からない。もしかしたら全部当てはまるのかもしれないし、人によっては事情も違うだろうから5のように時間的に余裕のない人もいる事だろう。しかし人命を尊重するという気が少しでもあれば、それと同時に道を譲らない事への罪悪感が少しばかりでも見えるのが普通ではないだろうか。
恐らく救急車を運転している救急隊員は現場にたどり着く為に必死で渋滞している車の間をかいくぐって一台でも前へと思っているはずだ。早く患者を病院に搬送しなくてはいけないという使命感に駆られているはずだ。少しはそういう救急隊員の気持ちや、もちろん救急車を呼ばなくてはならないほどの患者がどういった状態なのかという事を、韓国人はもっと自然に考える事が出来るようにならなければいけない。
こんな調子だから対向車線の車は全く無関係といった感じだ。救急車がなんとか私の乗るバスまで近づいた時に反対車線を走ろうとして右折してきた車とあわや交通事故という場面に出くわした。場所は確かに曲がり角なのでそこを曲がってくる車には救急車の存在は見えにくかったかもしれないが、鳴っているサイレンがドンドン近づいてきている事は運転をしていて分かるはずだ。なのに普通に右折してくるこのドライバーの気もしれない。
もっともこの時点より前の時点で救急車を運転している救急隊員も「なぜ反対車線を走らないのだろう」と不思議には思っていた。日本だと対向車線がそんなに渋滞しておらず、通行車線が大渋滞を起こしているとあれば、反対車線をサイレン全開で走っていきそうなものである。その違和感はあり得ない光景で払拭する事が出来た。
実はその救急車、私のバスが渋滞で止まっている真向かいの場所に停車したかったらしく、それでバスの近くに来た時に反対車線を走ろうとしていたのだ。つまりその場所に来るまでは後ろからジリジリと迫って来ていた事になるわけで、従って反対車線に入って一気にそこまでという考え方は全くなかったと言ってもいいだろう。大渋滞の中をなんとか自力で前まで進んできたその努力は買うが、やはり少し緊急に対する認識が甘いのではと内心思ってしまった。
救急車は歩道に停車し、2人の隊員が車から降りてきた。なにかてきぱきしていないような印象を受けたが、とりあえず後ろを開けてストレッチャーを用意する。その後、一人がなぜか車の中へ戻ってしまった。緊急時に一体何をやっているのだろうとバスの中から眺めていると、なんとその車に戻った方の隊員、「タバコを吸っている」ではないか!! このような事があって良いのだろうか。普通は緊急に駆けつけてもらいたいからこそ、救急車を呼んでいるわけである。そして救急隊員はそれを承知でサイレンを鳴らし現場に急行するのである。その隊員が車の中で一服するとは一体どういった了見なのだろうか。
タバコを吸うのにたかが一分程度。救急を要する場合でなければ、韓国人の性質を勘案すればさほど問題ないのかもしれない。しかし相手は救急車を呼ぶほどせっぱ詰まっている状態と考えられる。であるのにこの救急隊員はタバコを吸っているのだ。しかも周りにはたくさんの人がいるし、それを私のように見た人もいる事だろう。人の目も気にせずここまで堂々とこのような行為をされては唖然とするほかない。
しかし周りの反応は私の憤りをよそに静かなものであった。サイレンをならして来ていたので見ていないわけはない。全てではないにせよ、かなりの人がそれを目撃しているであろうに、全くの無反応。韓国人の熱い血からすれば、こんなのを見ればすかさす携帯電話で写真を撮り、それがネイバーあたりで広がって、この救急隊員は国民全員から凄まじいバッシングを受けてもおかしくないはずだ。韓国人はどういう基準で怒り、どういう基準で気にしないのか全く分からない。
一服し終えた隊員はやっとその重い腰を上げて外で待っていたもう一人とストレッチャーを従えて近くの地下鉄の階段下へ消えていった。私が目撃したのは恐らく万に一つの現場風景であろう。そうであると信じたい。これが頻繁に起こっているとすれば、韓国では助からない人間はもちろんの事、助かる見込みのある患者や確実に助かるはずの患者まで命を落としかねない。この隊員達は一生懸命現場まで来ているのだろうと勝手に考えていた自分を馬鹿馬鹿しく感じてしまった。
職業意識やモラルの低さはこんな職業にまで広がっている事に驚きを隠せない。この救急隊員は救急隊員としての自覚の無さをまざまざと目の前で見せつけてくれた。もしも自分が事故にあったり急病にかかったりしたときのことを考えると本当に命に関わりそうで恐ろしい。一般市民は緊急車両に道を譲らず、また緊急車両も急いで現場に行こうとする意思を見せない。そんな中で患者が日本人だと分かれば、ただでさえない救急の意識が更に低くなるのではないかと、韓国人並みの被害妄想に陥ってしまう。
救急隊員も人それぞれであるだろうから、私が見た隊員がたまたまこういう人間だったのだろうとは思う。もう一人はきちんと外で待っていたわけであるし。ただし道を譲らないのは間違いなく殆どの人だ。日常生活で常にある「ネガ、ネガ(自分が、自分が)」という精神が救急車に対しても無意識に発揮されていると思われる。救急車だけではなく警察車両や消防車はどうなのだろうか。
韓国、特にソウルに住む日本人の皆様は健康に十分留意した方が良いだろう。
http://christopher2005kor.seesaa.net/article/5149368.html
個人のブログがソースなので信頼度は落ちますが、運転マナー、職業意識が低いのは事実。
信じがたいことだけれど、事実の確立非常に高し。