http://vod2.ytn.co.kr/special/mov/ground/2004/200412171826426998_s.wmv
問題の部分だけの抜粋
http://syobon.com:90/src/up1584.zip.html
これは、韓国サイドで放送されたものです。
後半NHKは放送をぶちきっています。
実はこの後、YTN記者(韓国人記者)が小泉首相に歴史問題で詰め寄っています。(36分後ぐらい)
NAVERの韓国人によると
「靖国神社の戦犯たちの位牌を別に分離する話があったのになぜしないのか?」と言っているらしです。(中山大臣についても触れている?)
結局NHKは都合の悪い情報を放送しなかったわけですね。
この会見内容が、官邸HPでUPされました。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2004/12/17press.html
問題の部分
【質問】 小泉総理は、昨日、韓国特派員団との懇談において、韓日関係が友人関係のようになるとよいと述べられたと伺った。韓国人たちも、韓日関係が、未来志向的な関係に発展していくことを期待している。ところで、中山文部科学大臣が、先月、日本の歴史教科書において、従軍慰安婦や強制連行のような表現が減ったことはよいことであり、これまであまりにも自虐的であったと述べ、また、盧大統領の訪日の前に、自民党の政調会長が、創氏改名は韓国人が望んだので行われたとの暴言を述べられたことにより、会談の雰囲気に水を差したということがあった。総理は、日本の政治家・閣僚がこのような暴言を続けておられることについて、どのようにお考えか。それを防ぐ考えはないのか。また、総理の靖国神社参拝について、多くの韓国人が反対している。(A級戦犯の)分祀するという方策について述べられたこともあったが、これについて明確な立場をお聞かせ願いたい。韓日関係の発展のために、果敢にこれを中断する意向はあるのか。
【小泉総理】 だいぶ指摘された点が多いのであるが、要するに、日韓関係、過去の歴史というものから、どういう点を学び取るか、これが大事だと思っている。友好の歴史が長いのであるから、これからの将来に向かった、日韓の協力関係、歴史的な基盤というものを尊重して行かなくてはならないと思う。過去の歴史について、それぞれの政治家がいろいろな意見を発言する場合があると思う。中には韓国の方々の気持ちを不愉快にさせる発言があったと思うが、こういう問題についても、盧武鉉大統領が指摘されたとおり、歴史の共同研究、客観的に両国の過去の歴史がどういうものであったかという研究が続けられている。これからの将来の友好協力関係に活かすという視点が必要と思う。対立点をことさらあげつらうのではなくて、そういう対立点を含めて、あるいは摩擦も含めて、将来の友好協力関係にこの過去の歴史をどのように活かしていくかという視点が大事ではないかと思っている。
私が靖国参拝するというのも、何度も話していることであるが、二度と戦争を起こしていけないという気持ちから参拝しているわけである。これも歴史を紐解いてみれば、多くの日本国民、当時の状況をみると、好き好んで戦場にでたわけではない。多くの当時の国民は、心ならずも戦場に行かざるを得なかった、そして命を落として、家族と別れてあの過酷な戦場に赴いた。現在の日本の平和と繁栄というのは、現在生きている人だけで成り立っているわけではない。現在生きている人たちの努力はもちろんであるが、先人たちの尊い努力と尊い犠牲の上に成り立っているのだということを、我々、現在生きている人々、そして将来の若い世代は片時も忘れてはならないと思っている。そういう過去苦難の道をたどった、命を落とさなければならなかったという戦没者に対する敬意と感謝の念を持って、靖国神社に参拝している。決して、軍国主義になろうとか、その準備をしようとか、あの戦争はよかったなどと思っていることはない。戦争はしてはならないと、そして、現在の日本の発展と繁栄というのは、世界の平和と安定の中にあるのだと、そういう気持ちから、これからの将来、過去、苦難の道を歩んだ戦没者たちに、日本国民として、敬意と感謝の誠を捧げる気持ちから、靖国神社に参拝している。
A級戦犯の分祀問題は、(靖国神社は)一宗教法人であるから、政治として政府が関与すべき問題でもなく、関与できる問題でもない。将来の日韓の友好関係をなによりも重視していかなければならないので、私は靖国の問題だけをことさら取り上げるというのはいかがなものかと。それよりも、未来に向かって、過去の歴史を振り返りながら、どのような友好協力関係を維持して発展させていくかという視点から、幅広い分野にわたって今後も協力を続けていきたいという気持ちでいっぱいである。
>創氏改名は韓国人が望んだので行われたとの暴言
これ、暴言でも何でもないですから!
事実ですから!
残念!
まじめに創氏改名を説明すると、
元来朝鮮には
ファミリーネームがありませんでした。
代わりにあったのが「本貫」。彼らいわく出身成分のこと。
これは例えるなら部族名のようなもので、族譜系統を示しているだけ。
公文書には「氏・名」が必要なのに「名」しかない。
家単位で記録する戸籍を作るのにも非常に困った。
そこでファミリーネームを付けるように強制された。
これが
創氏。
一方
改名は創氏に伴い名前を変えることを
許可したもの。
それには一人50銭の手数料が必要だった。
つまり、
望んで改名しようとしない限り日本名には出来ない。
しかも出身地の役場にて手続きする必要があるため
内地(日本)に住む朝鮮人には簡単に改名出来なかった。
(そのため通名という、戸籍の名前とは別に日本式の名前を名乗る風習が出来た。)
結論
ファミリーネームを付けることは強制したが
日本名に変えるのは任意だった。
で、名前を奪われたとかよく言っていますが、
当時の戸籍抄本に「氏」のほかに韓国式「姓」も同時に記載されいるため
奪ったというのはありえない話。
詳しくは『設定創氏』『法定創氏』辺りで検索してください。