済南事件
昭和3年(1928)
中国兵による略奪陵辱暴行殺人事件。略奪被害戸数136、被害人員約400とある。中国側も立ち会った、済南医院での日本人被害者の検死結果。
事件直後に惨死体を実見した南京駐在武官・佐々木到一中佐は其の手記に次の如く記した。
「予は病院において偶然其の死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の極だった。手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、或いは滅多切りとなし、婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。或る者は焼かれて半ば骸骨となってゐた。焼残りの白足袋で日本婦人たる事がわかったやうな始末である。我が軍の激昂は其の極に達した」(『ある軍人の自伝』)
上の佐々木中佐手記は嘘でも誇張でもない。済南の日本人惨殺状況に関する下の外務省公電。
「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿込みたるもの、顔面 上部を切落したるもの、右耳を切落された左頬より右後頭部に貫通突傷あり、全身腐乱し居れるもの各一、陰茎を切落したるもの2」(5月9日田中外相宛西田領事報告)
中国側も立ち会った、済南医院での日本人被害者の検死結果。
藤井小次郎(FUJI-KOJIROU) 頭および顔の皮をはがれ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除。
斎藤辰雄(SAITO-TATSUO) 顔面に刺創。地上を引きずられたらしく全身に擦創。
東条弥太郎(TOUJO-YOTAROU) 両手を縛られて地上を引きずられた形跡。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出。
東条キン(女性24歳 TOJO-KIN)
全顔面及び腹部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。
陰部に約2糎平方の木片深さ27糎突刺あり。
両腕を帯で後手に縛られて顔面、胸部、乳房に刺創。助骨折損。
鍋田銀次郎(NABETA-GINJIROU)
左脇腹から右脇に貫通銃創。
井上国太郎(INOUE=KUNITAROU)
顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる。
宮本直八(MIYAMOTO-MAOHACHI)
胸部貫通銃創、肩に刺創数カ所。頭部に鈍刀による 切創。陰茎切除。
多比良貞一(TABIRA-TEIICHI)
頭部にトビ口様のものを打ち込まれたらしい突創。
腹部を切り裂かれて小腸露出。
中里重太郎(NAKASATO-ZYUTAROU)
顔面壊滅。頭骨粉砕。身体に無数の刺創。右肺貫通銃創。
高熊うめ(TAKUMA-UME)助骨折損、右眼球突出。全身火傷。左脚の膝から下が脱落。
右脚の白足袋で婦人と判明した。
他の二体は顔面を切り刻まれたうえに肢体を寸断され、人定は不可能であった。
下の写真はその日本人の死体
(足袋を履いているのを見てください)

写真『山東省動乱記念写真帖』(昭和3年青島新報(株))
●国論沸騰、中国懲罰へ
中国に惨殺凌辱された日本人同胞の死体が我軍の手により発見される、国民の憤激は極度に達し、中国懲罰の声が勃然とし起こって来た。
5月5日、済南事件の真相が明瞭となり、南軍の対日軽侮の観念が濃厚で、且つ居留民に残虐を加へた事実が判明するや各方面に多大の衝撃を与へ、国内に於ても期せずして積極的に膺懲論が擡頭した。
日本は済南派遣軍(第六師団)に事件解決の条件を指示し、12時間の期限付きで
暴虐行為に関係ある高級武官の処刑。
日本軍の面前に於て我軍に抗争したる軍隊の武装解除。
一切の排日的宣伝の厳禁。
南軍は済南及び膠済鉄道両側沿線20支里(12キロ)以外の地に離隔。
を要求したが、先方が拒否した為、中国軍の立てこもる済南城砲撃。砲撃対象を司令部と城壁に限り、又無用な流血を避ける配慮から安全地帯と避難路を指定した為、支那軍は夜陰に乗じて城外へ脱出、北伐を続行、11日、抵抗無く済南城を占領した。