さて、今日はちょっと長くなるけど最後まで読んでくださいね。
この手のブログを書く以上、慰安婦問題をきちんと取り扱うのは義務なので。
官房長官が元慰安婦に謝罪「父親世代の罪。おわびする」
韓国とフィリピンの元慰安婦2人が来日し、衆院議員会館で3日、細田官房長官と面会した。細田氏は「これは父親世代の罪。心から反省し、おわびする」と謝罪した。「教科書から慰安婦の言葉が減ってよかった」などの中山文科相発言について問われると、細田氏は「政府の考え方とは違い、理解できない発言だ。政府の政策に変更はない」と話した。
面会したのは現在の韓国の大邱から16歳で連行され、台湾で慰安婦生活を強いられたという李容洙(イ・ヨンス)さん(75)と、13歳でフィリピン・パナイ島を占領した日本軍に両親を殺され、駐屯地の慰安所で強姦(ごうかん)されたと訴えるベアトリス・トゥアソンさん(74)。
2人は、民間募金から被害者に償い金を支給してきた「女性のためのアジア平和国民基金」について、「国家の責任をあいまいにした。国民基金は許されない」などと批判したが、細田氏からの回答はなかった。
李さんは「官房長官の話で問題が解決できるとは思わないが、一生懸命がんばると、自分の思いをはっきり言ってくれたことはありがたい。その思いで一日も早く被害者への賠償法案を通してほしい」と会見で語った。
一方、細田氏は同日の会見で「先の大戦において女性の尊厳と名誉を傷つけた問題で、心からのおわびと反省の気持ちを表した」と述べた。官房長官が元慰安婦と会ったのは、94年の村山内閣の五十嵐官房長官以来。 (12/03 19:53)
http://www.asahi.com/politics/update/1203/009.html
今日はこの
李容洙(イ・ヨンス)さんに注目。
プロフィールを見てみましょう。
http://www.geocities.jp/kesenai_kioku_04/kyoto/profile.htm
1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。
その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。
可哀相ですねえ。三年も慰安婦をさせられたそうです。気の毒ですね。
ところで、1944年から三年間というと
1947年ですね。
終戦はいつでしたっけ?さ、検索検索。ネットはすぐに調べられて良いね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%88%A6%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5
1945年8月15日正午に昭和天皇の声で玉音放送が行われ、日本国民と陸海軍に降伏が伝えられた
1945年8月15日以降から1947年まで、
このおばあさんは
一体誰に
慰安婦を強制されていたんですか!
従軍慰安婦というのは実にいいかげんな代物で、調べれば調べるだけウソが出てきます。
基本的に彼女たちは軍人専門の売春婦。日本がお詫びするのはおかしな話です。
今でも歌舞伎町辺りには沢山慰安婦の方々がいらっしゃいますが、何十年か後に彼女達に日本はお詫びをしないといけないですか?
強制、強制と言いますが、日本軍が強制連行をしたという証拠は見つかっていません。
↓日本の公式見解
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html
同情されると金になると教えたのは誰なんだろう。
食い物にされながら、ニコニコ笑って友好と言う日本人は本当に馬鹿。
本当に仲良くなりたいと思うのならば、きっちりとぶつかり合って話をつけなければ。
慰安所の風景
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=982750&work=list&st=&sw=&cp=1
時間が無いのであとは慰安婦スレからコピペ。
★慰安婦の強制連行は「大嘘」!慰安婦の年収は日本兵の約100倍!
①米軍の北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦からの聞き取り報告
女性たちはブローカー(および経営主)が、300~1000円の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還している。
経営者との収入配分比率は40~60%。
女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、兵士の月給は15~25円。
慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して・・・寝起きし、業を営んだ・・・彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
②1944年、3人の朝鮮人軍属から聴取した記録(USA公式文書)
朝鮮人軍属は「太平洋の戦場で会った朝鮮人慰安婦は、すべて志願者か、両親に売られた者ばかりである。
もし女性たちを強制動員すれば、老若を問わず朝鮮人は激怒して立ちあがり、どんな報復を受けようと日本人を殺すだろう」と陳述。
※Composite Report on three Korean Navy Civilians List No. 78,dated 28 March 1945,"Special Questions on Koreans"(U.S.National Archives)
③毎日新聞 1992年5月22日の記事
第二次世界大戦中『従軍慰安婦』として強制連行されたミャンマー(旧ビルマ)で預けた軍事貯金の支払いを求めていた韓国・大邸市在住の文(ムン)玉珠(オクス)さん(68歳)が11日、
山口県下関市の下関郵便局を訪れ、預けた貯金の原簿があったことが分かった。(中略)
文さんは『個人の請求権は消滅していない。
当時「日本人として貯金した個人のお金だから直ちに返して」と訴えている。(中略)
原簿によると43年6月から45年9月まで12回の貯金の記録があり、残高は26,145円となっている。
※①の報告書の数字と合致している。
④日本陸軍の階級別収入1943年7月時
曹長 75~32円
軍曹 32~23円
伍長 20円
兵長 13.5円
上等兵 10.5円
一等兵 9円
二等兵 9~6円
※①の報告書の数字と合致している。