▽“勢いの論理”
週末、近くの街の祭りに行ったら「終了を例年の午後8時から1時間早め、7時にします」と繰り返しアナウンスがあった。節電のためという。同じようなことがこの夏、東日本の各地で起きている。
確かに節電は、実際の電力不足に加えて、これまで日本人が続けてきたエネルギー大量消費を考え直すためにも有用だと思う。しかし、夜の祭りの終了を1時間繰り上げて、いったい電力がどれだけ節約できるのだろうか。たぶん、根拠のある説明はないはずだ。要するに「どこもみんなそうしているから」「ここだけ違うことをしたらまずい」ということではないか。「自粛」の風潮に合わせた横並び感覚に違いないと私は考える。
福島第1原発の事故を含む東日本大震災が、この世界の中でどんな意味を持ち、われわれは「3・11後」をどう生きるべきなのか-。さまざまなメディアで識者が意見を表し、それを集めた本も出ている。しかし、この国の人々がいま置かれている状況に対応した見解はほとんどといっていいほど、ない。多くは、これまでも「脱・反原発」を主張してきた人の「ほら、言ったじゃないか」「原発をやめればすべてが変わる」といった意見だ。ノーベル賞作家・大江健三郎氏の考えも大きな違いはない。これもまた、事故以降の流れに乗った“勢いの論理”にすぎない。
本当の問題は、だいぶ前この欄にも書いたように、これだけの災害が起きながら、政治・経済・社会など、この国の根幹が変わる気配が全く見えないことだ。大学生が書いた文章を見ても、メディアを含めて「何を信用していいか分からない」という認識が圧倒的だ。一般の国民も五十歩百歩だろう。そうした人たちに「原発をやめればすべてが変わる」と言うだけですむのだろうか。
私も考えは脱原発だし、それが世の中を変革する第一歩になるかもしれないとは思う。しかし、それはあくまで運動論だ。脱原発で現状が革命的に変わるはずもなく、政治家も官僚も産業界も学術界も、そのあたりは織り込み済みだろう。原発ほどのうま味はなくても、またおいしいところを見つけて、しっかり握るに相違ない。いまのこの国の「貧困」は、現実に立った理想論を語り、方向性を示す人もいないことだ。(2011年7月25日 47NEWS編集部 小池新)
http://www.47news.jp/47topics/himekuri/2011/07/post_20110725134805.html
以前書いた仏教話を覚えているでしょうか。
悪い魔王をやっつけてめでたしめでたしなんて、ゲームの中だけの話だよね。