ふと、思いついたので。
ちょい前に「ケガレ」なるものについて調べたエントリーを立ててみたが、その後もなんとなーく気に掛けて追いかけていたら、ネタ元にたどり着いた。
犯人は
インドでした。
インド生まれの概念が日本で魔改造されてああなりました、と。
元ネタが分かって自分的には納得したのだけれど、そのついでに知った釈迦の思想が結構良かった。
良かったというか、自分と同じ考えを上手く言葉にまとめてくれていたw
いや、あちらの方が遥かに先輩なんだけどね。
で、釈迦の思想(あえて教えとは書かない)は、神とか死後の世界とかそーゆー有るとも無しとも証明の不可能な事柄に関しては保留にしてるんだね。
そんな事より目の前の問題を解決するのが先じゃね?って考え方。
解決する為に必要なのが智慧
智慧でもって原因を追究せよ、と。
智慧が足りないと下のエントリーのようにー、なんて書いたらいじめすぎか?
んで、釈迦が考えた「原因」のあり方が面白い。
物事の「原因」は一つではないという。
外部要因内部要因さまざまな原因が絡み合って、イメージ的には玉突きのようにあれがこうなったからこっちがこう動いてと、風が吹いたら桶屋が儲かる的に結果が生じるのだと。
つまり諸行無常。
事態は常に動いている。
物事は停滞しているように見えても常に流動的である、と。
てことは、どうしようもない状況に見えてもずっとそれが続くわけではないし、幸運も永遠に続かない。
動かしがたく見える事柄も、正面から攻めるのはちょっと後回しにして、他の原因を一つ一つ解決すればわりと何とかなるんじゃね?
んじゃ、原因追求のために自分と向き合わないとね。
釈迦の思想を散歩道フィルターを通して、平たーく容易にまとめるとこんな感じ。
割ときつい事言ってるね。
自分と向き合うとか、そんな簡単に出来ますかって。
ただこれ変な自己啓発の本より余程ためになるんじゃないかと思う。