筑波大学大学院教授・古田博司 すでに時効迎えた「過去」への贖罪 侵略的軍事行為はどちらの側か
≪反日で「共闘」するうま味≫
靖国神社参拝問題に対する中・朝・韓の執着にも濃淡があり、その中で北朝鮮は核・ミサイル開発に力を注ぎ、前者には比較的冷淡であった。なぜかといえば、物質的利益を引き出せないためであり、周囲にたかることのできる課題ではないからである。
ところが、7月17日付の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」に「軍国主義の輩(やから)の黒い下心」の見出しを掲げ、北朝鮮は次のように、ようやく長い沈黙を破った。
「日本では軍国主義の汚物桶(おけ)からあらたな毒キノコがすさまじく生え出ている。それは『靖国神社』参拝による軍国主義思想の急速な伝播(でんぱ)だ。日本の反動たちは犯罪的過去に対する自責感が全くない。彼らの頭の中にはひたすら昔と同様、アジアの支配者として君臨しようとする大陸侵略の野望だけが支配している。したがって、日本では軍事大国化、海外膨張策動が発狂的にせきたてられている」
前日の安保理決議に立腹した点も窺(うかが)えるが、中国が当初の対北朝鮮制裁決議案を骨抜きにしてくれたので、靖国問題でお礼の援護射撃をしているものと思われる。
その前、10日には中国の武大偉外務次官らが平壌に入り、6カ国協議復帰を働きかけたというのだが、中国にどれほどの本気があったかは疑問である。北は翌11日付の「労働新聞」で「国防力を強化するための努力」と題して中国を誉めたたえ、「中国での国防力強化事業は国力をしっかりとさせ、社会主義現代化建設を推し動かし、国の安全を保障することに貢献している」と内心の呼応を隠していない。ところが、これを知らない日米は中国に期待をする。そこが中国のうま味となっているのである。
このように2つの独裁国家が「共闘」しているわけだが、現実には北朝鮮は1990年代以来、先軍政治(軍事優先政治)を党の方針にしており、軍国主義路線をとっているのは彼らの方である。
≪靖国は反日将棋盤の王手≫
また、東シナ海での覇権を得るべく、海外膨張策動を繰り返しているのは中国の方であろう。ゆえに彼らのミサイルが飛び、原潜が日本の領海を侵犯するのである。つまり中・朝は自分たちの今の姿を、過去の日本の軍服で隠蔽(いんぺい)しようとしているのである。
靖国神社はこのような反日将棋盤の王手の位置にあり、ここまで完全に落とされれば、日本人は彼らの筋書きに目をふさがれたまま、ひたすら過去の贖罪(しょくざい)に浸らねばならなくなる。これまた国内の反日日本人の思う壼であろう。
そもそも、反日日本人が倫理のネタを西洋革命思想と東アジアへの贖罪から密輸入してきたのは、1950年代末のことであった。それまでの日本人は戦争の災禍が甚だしく、自らを被害者としか認められなかった。
当時彼らは、社会主義による近代化を信じていたので、中国は戦禍をこうむったがそこから建設のエネルギーを汲(く)み取ったと見た。それに引き替え、日本はこれまでの資本主義による近代化を惨敗として自覚せず、戦争のおかげでアジアは独立を勝ち得たのだと、侵略の過去を合理化してしまったと考えたのである。
そこで商業誌を中心に、日本こそが戦争の加害者で、贖罪すべきであると猛烈な宣伝戦を展開した。その後50年間の教化の成果として、今日の「贖罪大国日本」がある。
≪否定対象を善とする詭弁≫
論を明確にするには、日本の過去の戦争は侵略であったということはまず認めなければならないだろう。この点では彼らの言う通りである。しかし、社会主義による近代化はもはやあり得ないことであり、彼らが正義と信じる方が先に自滅してしまった。これは現在侵略的軍事行動をとっているのが、戦後60年間営々と平和国家を築いてきた日本でなく、社会主義の近代化に挫折した中国や北朝鮮だということからも明らかである。
東アジアに贖罪をするのは結構なのだが、中・朝を正義だと思いこむと、彼らの侵略を許すということになってしまう。このネジレは、反日日本人が「天皇制」を否定的に語りながらも、昭和天皇の「思(おぼ)し召し」を楯に取り、靖国神社参拝問題を有利に展開しようとしているネジレとよく似ている。つまり自分たちの肯定したいものが悪になり、否定したいものが善になっているのである。
ここから導かれる結論は、贖罪はすでに時効であるということ、そして我々は密輸入された倫理ではなく、自らが自由民主主義を守るアジアの責任ある大国であることを内側の倫理としてしっかり見つめ直すということである。(ふるた ひろし)
http://www.sankei.co.jp/news/060803/morning/seiron.htm
そもそも私には、自分がやったわけではない事を謝罪する気は無いけどね。