時代とともに言葉の概念が微妙に変わることがある。それは誤用や類推、あるいは概念を狭く特化したり、拡張したりすることに起因すると『国語の底力』の著者、塩原経央記者が教えてくれた。
▼最近の米紙に掲載された寄稿文を読んでいて、安倍晋三官房長官と福田康夫元官房長官をともに「アジア主義者と呼べる」とあったところで立ち止まってしまった。日米同盟論者の安倍氏が、いつからアジア主義者になったのだろう。
▼アジア主義と聞けば、岡倉天心の「アジアは一つ」までさかのぼる。昭和初期には「東亜連盟論」があり、大戦中の「大東亜共栄圏」に至ってきな臭いイメージが残る。アジア主義思想は中国などと連帯し、西洋列強に対抗してアジアを解放する主張なのだ。
▼問題の寄稿は、概念の誤用か拡大解釈かのどちらかだろう。筆者は共同通信の記者で、タイトルもズバリ「日本のアジア主義」だった。寄稿の主張は、後半部分の首相の靖国参拝批判にあるらしいから、拡大解釈が近いのかもしれない。
▼安倍氏は新著『美しい国へ』でも、とくに1章をもうけて「日米同盟の構図」を論じている。ここでも彼は、「日米同盟はベストの選択」と語ってはばからず、日米は「基本的価値を共有している」というから、どう転んでもアジア主義にはならない。
▼自民党総裁選の「安倍圧勝」予想の中で、ほかにも妙な現象が起きている。TBSのニュース番組で、旧日本軍731部隊に関するコーナーで、無関係の安倍氏の顔写真が約3秒間流された。TBSは「まったくの偶然」とコメントするが、ある意図に基づく報道なのかは不透明だ。こちらは、時代とともに「概念が微妙に変わる」という言い訳もできない。
http://www.sankei.co.jp/news/060727/morning/column.htm
安部ちゃんを引きずり下ろしても、対抗馬が居ない。
というわけで、いっそ思い切って麻生閣下はいかがでしょう。