教育基本法*いま、なぜ改正なのか(3月15日)
与党内で教育基本法改正への動きが強まっている。
自民、公明両党の幹事長などが、改正案を今国会に提出し、成立させることで合意した。両党の協議も、すでに生涯学習や社会教育については合意に達しているという。
だが、基本法改正で、最大の焦点となっているのは「愛国心」である。
愛国心の表記の仕方をめぐって両党の意見が依然として対立しているのに、早々と国会提出を合意するのは解せない。「初めに結論ありき」のような姿勢は、いかにも乱暴である。
教育基本法は、憲法と同様に平和主義と民主主義を高く掲げている。改正は、この根幹を揺るがしかねない。両党は、国民の意見を広く聴き、慎重に議論する必要がある。ことを急いでは、将来に禍根を残す。
今回の改正論議は、二○○三年三月に中央教育審議会が全面改正を求める答申をまとめたのが発端だ。これを受けて自民、公明両党は協議の場を設け、検討を続けてきた。
調整が難航しているのは、どういう表現で「愛国心」を法案の中に盛り込むかだ。自民党は「郷土と国を愛する」との表記を主張している。
これに対して公明党は、戦前の全体主義を思い起こさせるとして異議を唱え、「郷土と国を大切にする」と表記するよう求めて、議論は平行線をたどっている。
不思議なのは、民主党のメール問題後、にわかに改正論が勢いづいていることだ。自民党幹部からは、教育基本法という重要法案を提出し、国会を延長させた方が小泉政権の求心力を保てるとの意見が出ている。
公明党が改正を急ぐのも、来年の参院選の前に懸案事項を片付けたい思いがあるからだとの指摘もある。
これではなんのことはない、教育が政党の都合や思惑で変えられてしまうことになるのでないか。教育は、言うまでもなく百年の大計だ。決して「政治の具」にしてはならない。
むろん、郷土や国を愛する心を持つことは大切である。
だが、こうした心の領域、内面にかかわる事柄は本来、人に押し付けるようなものではない。人の心に自然に芽生えてくるものであろう。
国民に国を愛する心を持ってもらいたいのなら、国民を大切にし、愛される政治をするのが筋だ。
いじめや学級崩壊、学力低下、凶悪事件などで、教育の荒廃が叫ばれている。この原因が基本法にあるとは、到底思われない。いま、多くの国民が求めているのは、いじめなどに対する有効な具体策ではないのか。
日中、日韓関係は歴史教科書や靖国神社参拝で悪化している。「愛国心」が近隣に及ぼす影響も考えれば、基本法改正は軽々に進める問題ではない。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20060315&j=0032&k=200603151685
>「愛国心」が近隣に及ぼす影響も考えれば、基本法改正は軽々に進める問題ではない。
国を愛する事は、隣国に遠慮しなければいけないような事なのか?