「開化派指導者」金玉均の墓が強制移転の危機
日本・東京の青山霊園にある外国人墓地には、甲申政変に失敗し、日本に亡命した朝鮮末期の開化派指導者、金玉均(キム・オッキュン)の墓がある。この墓が今、強制移転される危機に面している。
東京都が昨年10月、金玉均の墓前に石原慎太郎東京都知事の名で立看板を設置し、「来る10月まで使用者申請がなければ無縁仏とみなし、移転埋葬する」という撤去通告をしていたことが確認された。
この墓は日本で10年間の亡命生活をした金玉均が、中国上海に渡り、朝鮮政府の送った刺客である洪鐘宇(ホン・ジョンウ)に暗殺された2か月後の1894年5月、日本の後援者らが彼の遺髪と衣服と一部を上海から持ち帰って作った。墓碑は金玉均の死後10年目である1904年、後に日本総理となる犬養毅らの支援で立てられたものだ。
自然石に「金公玉均之碑」と刻まれた墓碑は縦3メートル、横1メートルで周辺の他の墓碑よりおずっと大きい。碑文は「嗚呼、たぐいまれな才を持ち、大変な時期に生まれ、すぐれた功もなく、無念のうちに命を落とし…死体は故国に帰っても、身体には罵声を浴びせられ…」などとなっている。甲申政変の同志だった朴泳孝(パク・ヨンヒョ、1861-1939)が作り、大院君(テウォングン)の孫である李埈鎔(イ・ジュンヨン)が書いたものだ。兪吉濬(ユ・ギルジュン、1856-1914)が書いたという説もある。
金玉均研究に一生を捧げて来た在日史学者の琴秉洞(クム・ビョンドン/77、元・朝鮮大学校教授)さんは、東京都の墓地撤去方針に対し、「金玉均は誰が何と言っても朝鮮近代化の先駆者」とし、「あまりにも無慈悲で冷酷な仕打ちに怒りを禁じ得ない」と話した。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/05/22/20050522000047.html
無慈悲だと思うなら自分がお金を出して使用申請すればいいのに、そんな気は全くなし。
都だって慈善事業をやってるんじゃ無いんだから、勘違いしていない?
場所を移動させられるだけで墓が無くなるわけではありません。
故郷で弔って貰えない人を日本で供養したわけだから、感謝されることがあっても憎まれるいわれはないよね。